第6週「ふたり、北へ」(11月2日~):視聴率-%
第6週は、1918年(大正7年)5月〜1920年(大正9年)5月。珠の妊娠発覚、北海道・札幌への移住、流産、そして――頼母子講(たのもしこう)で千円の大金を手にする、怒涛の2年間が描かれます。
動画では、史実解説のテーマを3つに絞ってお届けしています。
- 頼母子講と、宇野千代が札幌で初めて買った家の話
- 「札幌拓殖銀行」の正体と、宇野千代の札幌移住の経緯
- 作家・秋山格之介のセリフ「結婚は、不純と矛盾の塊」の元ネタ探し
動画をまだご覧になっていない方は、まずはこちらから👇
動画に入りきらなかった、第6週の補足メモ
頼母子講の「千円」と、無尽業法の関係
動画内で「1915年(大正4年)に制定された無尽業法の施行細則が、給付金額の上限を1,000円以内と定めていた」という話をしましたが、この「無尽業法」は、頼母子講や無尽講といった、昔ながらの互助金融を、法律で管理・保護するために作られた制度です。それまでは、組織者が集めたお金を持ち逃げするなどのトラブルも多く、民衆の互助システムを守るために、国が制度化した――という流れがあります。
ちなみに、この「無尽業法」は、戦後になっても存続し、現在の「相互銀行」(さらにその後の第二地方銀行)のルーツにもなっています。頼母子講は、ただの昔話ではなく、今の日本の地方金融の、原型のひとつだったわけですね。
「大通東七丁目十二番地」の家について
宇野千代が、生涯で初めて自分で買った家の住所は、札幌市内の「大通東七丁目十二番地」。千代本人は、自伝で「東十一条」と書いていますが、研究者による検証では「大通東七丁目十二番地」が正しいとされています。本人の記憶違いか、意図的に住所をぼかしたのかは、わかりません。
現在、この住所に、当時の家が残っているわけではありません。札幌の街は、大正・昭和・平成を通じて、大きく姿を変えていますので、「ゆかりの地めぐり」をするなら、住所の場所に立って、当時の空気を想像する、という楽しみ方になりそうです。
「千円」の現在価値について
動画内では、具体的な金額の明言を避けました。理由は、戦前と戦後では物価の計算方法が異なり、企業物価指数・米価・給料など、どの指標を使うかで、数十万円から一千万円以上まで幅が出てしまうためです。
「じゃあ、だいたいいくらぐらいなの?」という方は、以下の記事と動画で、具体的な計算方法を解説しています👇
木村正吾のモデルについて
動画内で「木村正吾のモデルは、現時点では確認できず、わかりません」とお伝えしました。補足として――NPO宇野千代生家の公式年譜や、Wikipediaの宇野千代の項目、藤村忠に関する複数の資料を確認しましたが、「宇野千代または藤村忠の親戚で、北海道拓殖銀行の幹部にあたる人物」は、確認できませんでした。
ただし、宇野千代が、札幌へ移住した際、最初の半月ほどを、北海道で生活基盤を築いていた親族の邸宅に身を寄せた――という記述は、複数の資料で確認できます。「木村正吾」というキャラクターは、こうした史実の断片を、物語用に再構成した人物、と考えるのが自然かもしれません。
芥川龍之介と塚本文の結婚日について
動画内で「結婚日については、1918年2月2日説と1919年3月12日説がある」とお伝えしました。これは、「結婚式・祝言」の日付と、「婚姻届の受理日」が、別々に資料に残っているためと考えられます。当時は、結婚式を挙げてから、婚姻届を出すまでに、1年以上の間が空くことも、珍しくありませんでした。
どちらが「結婚の日」として相応しいかは、資料によって解釈が分かれます。朝ドラの第6週は、1918年5月〜1920年5月。どちらの日付を取っても、芥川が「結婚直後〜新婚期」にあたる時期です。
第6週 参考資料・出典一覧
動画内で引用・参照した資料の一覧です。信頼できる一次資料・公的機関・学術資料を中心にまとめています。
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| NPO宇野千代生家「宇野千代年譜」 | 公式年譜、1920年9月の札幌移住、藤村忠との結婚・離婚の経緯 | 一次資料(生家団体公式) |
| 東京紅團「宇野千代の東京を歩く」 | 宇野千代『生きて行く私』からの引用、頼母子講で千円を手にしたエピソード、大通東七丁目十二番地の家 | 二次資料(自伝引用あり) |
| Wikipedia「無尽業法」 | 1915年(大正4年)制定、頼母子講・無尽の法制度上の位置づけ | 二次資料 |
| アジア経済研究所「無尽業の存立基盤とその変質」 | 無尽業法施行細則の制限内容(給付上限1,000円) | 学術論文 |
| データベース『えひめの記憶』 | 頼母子講の定義、くじ引き/入札方式の違い、別名の整理 | 二次資料(自治体史料) |
| Wikipedia「北海道拓殖銀行」 | 設立年・沿革・業務目的・1997年破綻の経緯 | 二次資料 |
| Wikipedia「宇野千代」 | 1920年9月の札幌移住、藤村忠の経歴、結婚・離婚の経緯 | 二次資料 |
| 統計局「国勢調査の沿革」 | 第1回国勢調査(1920年10月1日実施)の確認 | 一次資料(政府統計) |
| 札幌市中央図書館「大正時代の移住ブーム」 | 第3次移住ブーム、1919年のピーク(9万人超入植)の確認 | 一次資料(公文書) |
| iieej.org「北海道の都市の人口推移」 | 大正9年の札幌市人口(約10万人)の確認 | 二次資料(学術論文) |
| 北海道デジタルミュージアム「北海道の開拓と移民」 | 明治初期から大正11年までの北海道移民総数・約200万人 | 一次資料(博物館) |
| 青空文庫『侏儒の言葉』全文 | 「結婚」の章、「処世術」の章、「不純」「矛盾」の語句確認 | 一次資料(青空文庫) |
| 青空文庫『恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ』全文 | 芥川の結婚観・幻滅主義の原文確認 | 一次資料(青空文庫) |
| Wikipedia「芥川龍之介」 | 結婚日(1919年3月12日説)、1918年の創作活動の確認 | 二次資料(日付に資料間で揺れあり・要注意) |
| 田端文士村記念館ニュース | 芥川と塚本文の結婚(1918年2月、田端で祝言)の確認 | 二次資料(施設公式) |
| Wikipedia「ブラッサム」 | ドラマ設定、原作なし・フィクションの確認、秋山格之介のモデル | 二次資料 |
| スキドラ「宇野千代の『千円』はいくら?」 | 大正9年の千円の現在価値、計算方法の詳細 | 自サイト関連記事 |
| スキドラTV「大正時代のお金の計算方法」動画 | 大正時代の貨幣価値の計算方法解説 | 自チャンネル既存動画 |
第7週「あばく、書く」(11月9日~):視聴率-%
第7週は、珠がついに作家としてデビューを果たす重要な週。デビュー作『脂粉(しふん)の顔』で時事新報の懸賞一等入選、二作目『墓を発(あば)く』で中央公論に掲載――宇野千代が、23歳から24歳にかけて経験した、作家人生の最初の2段ロケットです。
動画では、デビュー作のあらすじ、大正カフェーの光と影、『墓を発く』の「血脈」というテーマ、そして「なぜ大正に女性作家が少なかったのか」という3本立てで、噛み砕いて解説しています。まずは動画からご覧ください👇
賞金200円・原稿料300円(366円)の現在価値について
動画内では、ネタバレを避けるため、具体的な金額換算は行っていません。「大正10年の賞金200円って、今でいくら?」「大正11年の原稿料366円は?」が気になる方は、別記事と動画をご参照ください。
- 📖 記事:『脂粉の顔』賞金200円の現在価値
- 📖 記事:『墓を発く』原稿料366円の現在価値
- 🎥 動画:大正時代のお金の計算方法
『脂粉の顔』『墓を発く』の原文を読むには
動画内でも紹介した通り、両作品ともに青空文庫には収録されていません(2026年10月現在)。原文を読んでみたい方は、以下の方法で入手・閲覧が可能です。
岩波文庫『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』
2019年6月14日刊、ISBN 9784003122228。宇野千代作・尾形明子編。『脂粉の顔』『墓を発く』『巷の雑音』『三千代の嫁入』『ランプ明るく』『老女マノン』の6編を収録。尾形明子による解説「宇野千代の生と文学」「作品解題」が付されています。
国立国会図書館デジタルコレクション
『中央公論』大正11年5月号(『墓を発く』初出・71~119ページ)は、「国立国会図書館内限定」での閲覧が可能です。遠方の方は、お近くの図書館を通じた遠隔複写サービスも利用できます。
🔗 『中央公論』大正11年5月号(NDLデジタルコレクション)
また、『墓を発く』は、1924年(大正13年)に金星堂から刊行された短編集『幸福』にも収録されており、こちらはインターネット公開(144~178コマ目)で、どなたでも閲覧可能です。
時事新報懸賞短編小説の、ちょっと面白い”賞金”事情
動画では尺の都合で触れきれませんでしたが、時事新報の懸賞短編小説の賞金設定について、興味深い情報があります。公募ガイドの連載「文芸公募百年史」(Koubo note)によれば、本来の規定賞金は、第1席100円・第2席50円・第3席30円・選外10円だったとされています。
ところが、宇野千代の年譜記録(NPO宇野千代生家)では、千代が受け取った賞金は200円と明記されています。――規定額の2倍。この差額の経緯(二等との同点決戦の結果か、特別賞か等)については、現時点で明確な説明を見つけることができませんでした。原稿料と合わせて、何らかの事情で加算された可能性がありますが、断定はできません。
『墓を発く』の原稿枚数――120枚説と122枚説
『墓を発く』の原稿枚数については、資料によって120枚説と122枚説の両方の記述があります。
- 120枚説:国立国会図書館レファレンス、unochiyo.com
- 122枚説:asadora-tsugi.com、東京紅團
初出『中央公論』と、後の単行本収録時でカウントが異なるのか、あるいは単なる情報源の誤りか――一次資料(『中央公論』原本)を確認しない限り断定できません。
宇野家の家族構成と、継母リュウとの年齢差
動画では、父・俊次(しゅんじ)、実母トモ、継母リュウの基本情報のみ触れました。より詳細な家族構成は以下の通りです。
- 父・宇野俊次(1855~1913):宇野家本家の次男。生業に就かず、競馬・博打・道楽に没頭。千代16歳の時(1913年2月8日)、57歳で病没。
- 実母・土井トモ(1873~1899):1899年、千代が1歳半の時に肺結核で死去。
- 継母・佐伯リュウ:1900年5月、17歳で俊次と再婚(俊次との年齢差は28歳、千代との年齢差は14歳または12歳とする資料も)。1951年死去。
- 異母弟妹:薫、鴻、勝子、光雄、文雄の5人。
千代は継母リュウを「色の白いきれいな人だと思い、実母のように慕った」と後年の自伝に書いています。一方で、父・俊次に対する感情は、80代で書かれた『生きて行く私』と、若き日の初期短編(『墓を発く』など)とで、描かれ方が大きく異なるとする研究者の指摘があります。
宇野酒造について
宇野家が代々営んでいた酒造業について、以下のことが確認できています。
- 所在地:山口県岩国市川西(宇野千代生家として現存・保存)
- 銘柄:「鶴亀(つるかめ)」
- 経営形態:俊次の代では本家ではなく分家筋。千代の生家は宇野酒造の分家にあたる
※「辰巳屋」という屋号の記述も一部見られますが、信頼性ある資料での裏付けは今回取れませんでした。
日本女流文学者会 結成時期について
動画では「1936年、吉屋信子・林芙美子・宇野千代らによって女流作家たちの親睦の集まりが生まれ、のちの『女流文学者会』につながった」と紹介しました。この結成時期については、資料によって記述が分かれています。
- 1936年(昭和11年)発足説:親睦会「輝ク会」の設立を起点とする見方
- 1940年(昭和15年)結成説:「女流文学者会」として正式に結成された時期
どちらを「結成」とするかで記述が異なるため、両説を併記しています。
第7週 参考資料・出典一覧
動画で引用・参照した資料の一覧です。信頼性の目安として、一次資料/二次資料/要注意・未確認を併記しています。
参考書籍
宇野千代・作品関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| NPO宇野千代生家 公式サイト(年譜) | 大正10年1月21日発表、『脂粉の顔』一等入選、賞金200円、選考委員 | 一次資料(生家団体公式) |
| NPO宇野千代生家 公式サイト(燕楽軒) | 大正6年8月、本郷・燕楽軒での18日間勤務 | 一次資料(生家団体公式) |
| 国立国会図書館デジタルコレクション『中央公論』大正11年5月号 | 『墓を発く』初出、p71-119、館内限定閲覧 | 一次資料 |
| 国立国会図書館デジタルコレクション『幸福』金星堂1924年 | 『墓を発く』単行本収録版、インターネット公開 | 一次資料 |
| 国立国会図書館レファレンス(墓を発く所在) | 原稿料366円、収録書籍一覧 | 一次資料(国立機関) |
| 岩波書店『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』 | 現在入手可能な収録本の書誌情報 | 一次資料(出版社公式) |
| Wikipedia「宇野千代」 | 経歴・作品一覧・家族関係の概要 | 二次資料 |
| 青空文庫 宮本百合子『婦人と文学』 | 『墓を発く』評「重く苦しい家庭関係」 | 一次資料(青空文庫) |
| J-STAGE「研究動向 宇野千代」(尾形明子) | 生田長江による評価の言及 | 学術論文(二次資料) |
時事新報懸賞・文壇関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| Koubo note「文芸公募百年史 VOL.10 時事新報懸賞短編小説」 | 応募時のペンネーム(藤村千代・尾崎泗作・兼光左馬)、佐佐木茂索の経歴、賞金規定 | 二次資料(公募ガイド公式) |
| Wikipedia「田村俊子」 | 1911年『あきらめ』デビュー、『青鞜』1916年廃刊 | 二次資料 |
| Wikipedia「野上弥生子」 | 大正期の女性作家名の確認 | 二次資料 |
| 国立国会図書館 ポートレート「野上弥生子」 | 野上弥生子の経歴・肖像 | 一次資料(国立機関) |
大正カフェー・女給文化
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| Wikipedia「カフェー・プランタン」 | 1911年3月開業、文人のたまり場 | 二次資料 |
| Wikipedia「カフェー・ライオン」 | 1911年8月、銀座尾張町開業 | 二次資料 |
| 銀座ライオン沿革 | カフェー・ライオン経営変遷 | 企業公式サイト |
| 国立国会図書館 Kaleido 39号(カフェー・プランタン) | カフェー・プランタン開業経緯、文人たちとの関係 | 一次資料(国立機関) |
| 国立国会図書館 Kaleido 39号(純喫茶・白エプロン) | 純喫茶の登場、白エプロン女給の普及 | 一次資料(国立機関) |
| 国立国会図書館レファレンス(女給の給与) | 女給の給与、大卒初任給比較 | 一次資料(国立機関) |
| 立命館大学論文「1930年代のカフェーにみる性風俗産業界」 | カフェーの性風俗産業化、検挙統計 | 学術論文 |
| Wikipedia「カフェー(風俗営業)」 | カフェーの定義・歴史 | 二次資料 |
宇野家・岩国関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 岩国市 宇野千代記念館 公式サイト | 代用教員としての勤務・罷免の詳細 | 公的サイト |
| 山口県観光サイト「作家・宇野千代」 | 岩国との関係、生家修復 | 公的サイト |
| 平成松下村塾「山口県の先人たち 宇野千代」 | 経歴概要 | 二次資料 |
関連ニュース・メディア記事
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| livedoor NEWS「朝ドラ『ブラッサム』主人公・葉野珠のモデル」 | 岩国帰郷エピソード、『墓を発く』の主題についての千代の言葉 | 二次資料 |
| PRESIDENT Online「宇野千代の父・俊次とはどんな人物だったのか」 | 父・俊次の人物像、継母リュウとの関係、『生きて行く私』と初期作品の比較 | 二次資料 |
| 東洋経済オンライン「朝ドラ『ブラッサム』のモデル、宇野千代の父」 | 父・俊次の性格・エピソード | 二次資料 |
| JB PRESS「飛び立つ女たち 宇野千代『二人の母』」 | 実母トモの1899年死去、父母・継母の詳細な記述 | 二次資料 |
| 文春オンライン「朝ドラ『ブラッサム』では作家・宇野千代をモデル」 | 父の死後の生活変化、女学校時代 | 二次資料 |
| ステラnet「宇野千代と岩国――文学少女を」 | 宇野酒造の歴史・規模 | 二次資料(NHK関連) |
| ステラnet「宇野千代と岩国――教壇から」 | 教員辞職から朝鮮渡航までの経緯 | 二次資料(NHK関連) |
スキドラ関連記事・動画
| タイトル | 内容 |
|---|---|
| スキドラ『脂粉の顔』賞金200円の現在価値 | 大正10年の賞金200円を現在価値に換算 |
| スキドラ『墓を発く』原稿料366円の現在価値 | 大正11年の原稿料366円を現在価値に換算 |
| スキドラTV「大正時代のお金の計算方法」 | 大正時代の貨幣価値の計算方法解説 |
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| スキドラTV「黒崎・山中のモデルと原稿料366円」 | 首都公論編集部のモデル・滝田樗陰/嶋中雄作の解説 |
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第8週「タイトル未確認」(11月16日~):視聴率-%
第8週は、1922年(大正11年)春〜夏。珠が六年ぶりに故郷・岩国へ帰郷し、父・清治が本家を継がなかった本当の理由を継母リュウから聞かされる――そして東京・本郷に戻り、第3作『巷の雑音』を書き上げ、「松野ホテル」で作家仲間・西尾一路と、はじめて出会う週です。
動画では、史実解説を3本立てでお届けしています。
- 第3作『巷の雑音』は、どんな話?――2026年度共通テスト追試にも出題された、大正カフェー小説
- 女学校の友人・角田忍のモデル候補――大正の女性記者第一世代・山高しげり
- 「松野ホテル」のモデルは本郷・菊富士ホテル?――珠と西尾一路、始まりの場所
動画をまだご覧になっていない方は、まずはこちらから👇
動画に入りきらなかった、第8週の補足
『巷の雑音』は、2026年度共通テスト追試で第2問に出題
動画でも触れた通り、宇野千代『巷の雑音』は2026年度(令和8年度)大学入学共通テスト・追試験の、国語・第2問(小説)として出題されました。問題文で引用されているのは、ミシンの支払いに追われる主人公・お絹のもとへ、九年ぶりに故郷から弟・英二が上京してくる、物語の冒頭部分――上野駅での再会の場面を中心としたパートです。
出題時の文頭には「宇野千代『巷の雑音』(1922年発表)」との明示があり、発表年がドラマの時系列(1922年春〜夏)と、ぴったり重なっていることが確認できます。問題本文と設問は、以下の過去問サイトで閲覧可能です。
🔗 共通テスト(国語)令和8年度 追・再試験 過去問題(kakomonn.com)
山高しげり――動画で触れきれなかった、学歴と結婚の話
動画では、山高しげりの経歴を「東京府立第二高等女学校、東京女子高等師範学校(のちのお茶の水女子大学)に進学、途中で中退」と紹介しました。ただし、より正確には、以下のような経歴です(Wikipediaおよび津市男女共同参画情報紙に基づく)。
- 三重県立四日市高等女学校に入学
- 1913年、父の仕事の都合で東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)に転校
- 1916年、同校卒業後、東京女子高等師範学校に入学
- 1918年、病気などの事情で中退
また、動画では省略しましたが、しげりは1919年2月11日に金子従次(かねこ・じゅうじ)と結婚して「金子茂(かねこ・しげり)」となり、1920年に息子・欣太郎を出産した後、『國民新聞』の記者として就職しています。1933年に離婚後、戸籍上は「山高」の姓に戻ります。
つまり、1922年に宇野千代の『脂粉の顔』や『巷の雑音』が発表された頃、しげりはすでに結婚・出産を経て新聞記者として働く既婚女性記者でした。――ドラマの忍の設定とも、少しずつ違ってくる点ですね。
「婦人参政権獲得期成同盟会」の、正確な結成日
動画では「1924年、市川房枝(いちかわ・ふさえ)らとともに、婦人参政権獲得期成同盟会の結成に参加」と紹介しました。より正確には、1924年12月13日、東京連合婦人会の政治部を母体として設立されたのが、この同盟会です。
総務理事に久布白落実(くぶしろ・おちみ)、会務理事に市川房枝が就任し、山高しげりは宮川静枝・吉永文子とともに宣伝部幹事を務めました。翌1925年4月19日には「婦選獲得同盟」に改称されています。
吉屋信子に親友・門馬千代を引き合わせた、1923年1月
動画で軽く触れた、山高しげりが吉屋信子に親友・門馬千代(もんま・ちよ)を紹介したエピソードについて。Wikipediaおよび関連資料によれば、1923年1月、吉屋信子に「女の友情なんて存在しない」と言われたしげりが、学生時代の無二の親友だった門馬千代を吉屋に引き合わせた、というのが経緯です。
吉屋と門馬はすぐに親しくなり、後年、吉屋は門馬を養女にしています。この門馬千代・吉屋信子の関係については、スキドラTVの「吉屋信子の生涯」動画でも、詳しく取り上げています。
「菊富士ホテル」の、創業史と、宿泊した文士たち
動画では、菊富士ホテルについて「1914年(大正3年)に本郷菊坂に開業」と、簡潔に紹介しました。もう少し詳しく補足すると、以下のような経緯があります。
- 創業者は羽根田幸之助(はねだ・こうのすけ)、岐阜県出身
- もともと下宿屋「菊富士楼(きくふじろう)」を営んでいた羽根田夫妻が、その隣地に開いた洋風ホテル
- 1914年の東京大正博覧会をあて込み、外国人客狙いの高級ホテル(下宿屋)として開業
- 1944年に営業終了
ホテルの詳細については、1974年刊行の近藤富枝『文壇資料・本郷菊富士ホテル』(講談社/のち中公文庫)が決定版の資料として知られています。著者の近藤富枝は、創業者・羽根田幸之助の長男に嫁いだ叔母を持つ、羽根田家の親戚筋にあたる作家です。
宿泊した文士の顔ぶれは、画家で詩人の竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)、作家の宇野浩二(うの・こうじ)、戦後の坂口安吾(さかぐち・あんご)など、大正から昭和にかけての文士たちがひしめき合いました。
🔗 岐阜県図書館「東京、本郷旅館街の基礎を築いた 羽根田幸之助」
宇野千代と尾崎士郎の、出会いの時期についての資料間の揺れ
動画の最後でも軽く触れましたが、宇野千代と尾崎士郎の出会いの時期については、資料によって記述に幅があります。
- NPO宇野千代生家の公式年譜では、1922年(大正11年)、千代25歳の年に『墓を発く』の原稿料366円を受け取り、岩国へ帰郷。その後、尾崎士郎と出会い、本郷の菊富士ホテルに留まり同棲
- 千代の自伝『生きて行く私』では、「札幌までの通し切符を買って、岩国を出発した」直後の、東京の中央公論社での偶然の出会いとして描写
- 一部の資料では、出会いの時期を「4月半ば」とも「12月末」とも記述
いずれにせよ、1922年のうちに菊富士ホテルで二人の同棲生活が始まった、という点は複数資料で一致しています。
保との離婚――ドラマと史実の時系列ギャップ
動画の感想パートでも触れた通り、ドラマの第8週では、1922年(大正11年)夏ごろ、珠が保に離婚を願い出る展開となります。一方、史実の宇野千代と藤村忠の協議離婚が成立するのは、1924年(大正13年)4月のこと。ドラマでは、この時系列を2年ほど前倒ししているように見えます。
実際には、宇野千代は1922年の菊富士ホテルでの同棲開始から、1924年の正式離婚までの約2年間、法律上は藤村忠の妻でありながら、尾崎士郎と事実婚状態で過ごしていた――ということになります。
第8週 参考資料・出典一覧
動画で引用・参照した資料の一覧です。信頼性の目安として、一次資料/二次資料/要注意・未確認を併記しています。
参考書籍
※その他の参考書籍(『生きて行く私』『新版 宇野千代 女の一生』ほか)は、第6週・第7週セクションに同じものを掲載済みのため、ここでは割愛します。
『巷の雑音』・宇野千代作品関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| NPO宇野千代生家 公式サイト(年譜1922年) | 『墓を発く』原稿料366円受取、岩国帰郷、尾崎士郎との出会い | 一次資料(生家団体公式) |
| NPO宇野千代生家 公式サイト(年譜 尾崎士郎との出会い) | 菊富士ホテルでの同棲開始、1922年の時系列 | 一次資料(生家団体公式) |
| NPO宇野千代生家 公式サイト(燕楽軒) | 1917年8月、18日間の燕楽軒勤務経験 | 一次資料(生家団体公式) |
| 岩波書店『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』 | 『巷の雑音』現在入手可能な収録本、尾形明子解説・作品解題 | 一次資料(出版社公式) |
| Wikipedia「宇野千代」 | 1924年藤村忠との協議離婚成立、作品一覧 | 二次資料 |
共通テスト追試・『巷の雑音』出題関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 共通テスト(国語)令和8年度 追・再試験 過去問題(kakomonn.com) | 2026年度共通テスト追試・第2問「宇野千代『巷の雑音』(1922年発表)」出題の確認 | 二次資料(過去問サイト) |
| センター試験・共通テスト 国語 出典一覧(東進WIKI) | 2026年追試出典「巷の雑音」の確認 | 二次資料 |
山高しげり・忍のモデル関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| Wikipedia「山高しげり」 | 1899年三重県津市生まれ、四日市高女→東京府立第二高女転校、1916年東京女子高等師範入学・1918年中退、1919年金子従次と結婚、1920年國民新聞入社、1924年12月13日婦人参政権獲得期成同盟会結成(宣伝部幹事)、1922年吉屋信子と親交、1923年1月門馬千代を引き合わせる、1952年全国地域婦人団体連絡協議会初代会長、1962年参議院議員 | 二次資料 |
| kotobank「山高しげり」 | 国民新聞記者を経て婦人参政権獲得期成同盟会結成に参加、母子福祉運動 | 二次資料(辞典) |
| 津市男女共同参画情報紙「山高しげりとその母」 | 山高しげりの出生地・家族構成、母・吉田とみ(三重県師範学校初の女子入学生3名のうちの1人) | 一次資料(自治体公式) |
| Wikipedia「門馬千代」 | 1923年1月、山高しげりが吉屋信子に紹介、のち吉屋の養女 | 二次資料 |
| Wikipedia「婦選獲得同盟」 | 1924年12月13日、婦人参政権獲得期成同盟会の設立、1925年4月19日「婦選獲得同盟」改称 | 二次資料 |
菊富士ホテル・本郷文士関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| Wikipedia「菊富士ホテル」 | 1914年(大正3年)本郷区(現・文京区)開業、1944年営業終了、宿泊した文士の記録 | 二次資料 |
| 岐阜県図書館「東京、本郷旅館街の基礎を築いた 羽根田幸之助」 | 創業者・羽根田幸之助の出身(岐阜県)、下宿屋「菊富士楼」から菊富士ホテルへの展開、近藤富枝『本郷菊富士ホテル』の存在 | 一次資料(公的図書館) |
スキドラ関連記事・動画
| タイトル | 内容 |
|---|---|
| 西尾一路のモデル・尾崎士郎の生涯 | 西尾一路のモデル解説、馬込文士村、湯ヶ島、千代の晩年の言葉 |
| 西尾一路関連記事 | 尾崎士郎と宇野千代、同棲から別れまで |
| 吉屋信子の生涯 | 山高しげり・門馬千代との関係、女流文学者会の背景 |
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第9週「タイトル未確認」(11月23日~):視聴率-%
第9週は、1922年(大正11年)末〜1923年(大正12年)初夏。珠と西尾一路の交際が新聞に報じられ、スキャンダルに。札幌から前夫・保が訪ねてくる、人生の分岐点となる一週間です。そしてラストは1983年(昭和58年)、86歳の珠のもとに札幌から一通のファンレターが届く――という、現代パートも挿入されます。
動画では、史実解説のテーマを3つに絞ってお届けしています。
- 1923年、宇野千代-尾崎士郎スキャンダル報道――『國民新聞』が報じた「醜聞」の実物
- 前夫・藤村忠(保のモデル)のその後と、60年後に届いた一通の手紙【今回の目玉】
- 第4作『追憶の父』は実在した――「葉野珠」名義の謎
動画をまだご覧になっていない方は、まずはこちらから👇
動画に入りきらなかった、第9週の補足
『國民新聞』1923年8月12日の報道――当時の新聞記事に、記者の署名はない
動画では、スキャンダル記事を書いたのが「社会部の男性記者」である可能性が高い、とお伝えしました。補足として――当時(大正期)の『國民新聞』の紙面では、ニュース記事に執筆記者個人の署名(バイライン)が入らないのが一般的でした。社説やコラム、文芸欄の寄稿には筆者名が入ることもありましたが、事件・社会面の記事は「本社記者」「本紙特派員」といった匿名で掲載されるケースがほとんど。
このため、「取材したのは誰か」を特定するには、記者本人の回想録、同僚の証言、社史などの傍証に頼るほかありません。山高しげり(第8週で忍のモデルとして紹介)が『國民新聞』に在籍していた時期(1920~1924年)と、報道時期(1923年8月)は重なるものの、彼女が担当していた「婦人・家庭欄」の領域とスキャンダル取材は別部門――という点から、動画では「山高しげりの可能性はほぼない」と結論づけました。
「馬込放送局」――あだ名の由来
宇野千代と尾崎士郎が、1923年(大正12年)、荏原郡馬込村に転居して以降、二人の住まいは「馬込放送局」と呼ばれるようになります。これは、二人の家に文士仲間が集まり、文壇や近所の噂話が、ここから四方八方へ「放送」されていった、ということに由来する通称です。
ちなみに「放送局」という言葉そのものが、当時はまだ新しいもの。日本初のラジオ放送(東京放送局・JOAK)が本放送を開始するのは、1925年(大正14年)7月。「馬込放送局」というあだ名は、「ラジオ放送局が誕生する直前〜直後」の、ちょうど言葉が流行し始めた時期に生まれたニックネーム、ということになります。
後の「馬込文士村」の中心的な集会所になっていく、その始まりが、このあだ名に表れていると言えるかもしれません。
離婚成立時期――「1923年5月調印」説と「1924年4月成立」説
動画内でも触れた通り、宇野千代と藤村忠の協議離婚については、資料によって日付の記述が異なります。
- 1923年(大正12年)5月中旬説:大田区立尾崎士郎記念館「記念館ノート」第4号。「宇野が離婚届に調印」と記載
- 1924年(大正13年)4月説:NPO宇野千代生家公式年譜、Wikipedia「宇野千代」、岩国市関連資料
この違いは、「離婚届への調印日(当事者間の合意日)」と「戸籍上の離婚成立日(届出受理日)」の、どちらを「離婚」とカウントするかの違いだと見られます。当時の協議離婚は、合意から戸籍反映までタイムラグがあることも珍しくありませんでした。
いずれにしても、「1923年8月の『國民新聞』報道の時点では、宇野千代は戸籍上まだ藤村忠の妻だった」という点は、両説で一致しています。
『生きて行く私』の、連載紙と連載期間
動画で触れた、藤村忠の孫から千代のもとに手紙が届いたエピソードが収録されているのは、宇野千代の自伝的エッセイ『生きて行く私』。この連載について、以下の情報を補足します。
- 連載紙:毎日新聞「日曜くらぶ」
- 連載開始:1982年(昭和57年)
- 単行本化:1983年(昭和58年)、毎日新聞社より刊行
- その後:1990年代に角川文庫、2017年に中公文庫など、複数の文庫版で再刊
ドラマ第9週の現代パートの舞台設定が「1983年」なのは、ちょうど『生きて行く私』が単行本化され、ベストセラーとなった年、ということになります。
『追憶の父』を実際に読むには
動画でもお伝えした通り、『追憶の父』は現在、容易に手に取れる収録本が見当たらない「幻の作品」になっています。原文を確認したい方は、以下の方法があります。
- 国立国会図書館デジタルコレクション:『中央公論』大正12年3月号は、「国立国会図書館内限定」または「図書館送信サービス」での閲覧が可能です
- 日本近代文学館:原稿そのもの(滝田樗陰コレクション)が所蔵されており、2026年の「宇野千代展――100年の旅人」でも展示されました
著作権の保護期間(著者没後70年)の関係で、インターネット公開はされていませんが、お近くの大学図書館や公立図書館の「図書館送信サービス」対応館であれば、当時の『中央公論』誌面を読むことができます。
🔗 国立国会図書館サーチ『中央公論』大正12年3月号(検索窓から号数指定で検索)
筆名「藤村千代」→「宇野千代」の変更時期について
動画で、「宇野千代」名義での本格スタートは、1924年(大正13年)4月の離婚成立と同じタイミング、とお伝えしました。より詳しい流れは以下の通りです。
- 1921年(大正10年)1月:『脂粉の顔』が時事新報の懸賞一等入選。この時点では「藤村千代」名義
- 1922年(大正11年)8月:『巷の雑音』を『中央公論』に発表。「藤村千代」名義
- 1923年(大正12年)3月:『追憶の父』を『中央公論』に発表。「藤村千代」名義
- 1923年11月:「淡墨色の憂愁」を『中央公論』に発表。「藤村千代」名義
- 1924年(大正13年)4月:藤村忠との協議離婚成立。同年、作品集『幸福』を金星堂より刊行、ここから「宇野千代」名義
つまり、「藤村千代」で発表された作品は、約3年半分――デビューから『追憶の父』を含む、宇野千代の初期作品群は、すべて前夫の姓である「藤村」名義で世に出ていた、ということになります。
ドラマの「葉野珠」という筆名変更の演出は、史実における「藤村千代→宇野千代」の切り替わりの瞬間を、別の名前に置き換えて象徴的に描いた――と見ることができそうです。
第9週 参考資料・出典一覧
動画で引用・参照した資料の一覧です。信頼性の目安として、一次資料/二次資料/要注意・未確認を併記しています。個人ブログは論考参考にとどめ、本記事では一次情報が確認できる資料を中心にまとめています。
参考書籍
宇野千代・尾崎士郎スキャンダル報道関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 大田区立尾崎士郎記念館「記念館ノート」第4号 | 『國民新聞』1923年8月12日号の報道、見出し、壽館での独占インタビュー、馬込村表記 | 一次資料に近い(記念館公式) |
| NPO宇野千代生家 公式サイト(年譜) | 菊富士ホテルでの同棲開始、1923年5月の馬込町転居、1924年4月の協議離婚成立 | 一次資料(生家団体公式) |
| NPO宇野千代生家 公式サイト(尾崎士郎との出会い) | 1922〜1923年の二人の交流の経緯 | 一次資料(生家団体公式) |
| Wikipedia「宇野千代」 | 1924年4月の離婚成立、尾崎士郎の『読売新聞』寄稿(1923年8月30日) | 二次資料 |
| Wikipedia「山高しげり」 | 1920年國民新聞入社、1924年退職の時期確認 | 二次資料 |
| Wikipedia「馬込文士村」 | 「馬込放送局」の由来、尾崎士郎・宇野千代の住まいの位置づけ | 二次資料 |
| 大田区公式「馬込文士村」 | 馬込文士村の概要・地域資料の位置づけ | 公的資料 |
藤村忠(保のモデル)関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 渋沢社史データベース『北海道拓殖銀行五十年史』 | 1950年刊『北海道拓殖銀行五十年史』における「常勤監査役 藤村忠氏」記載 | 一次資料に近い(渋沢史料館) |
| 北海学園大学「開発論集」1965〜1969年 | 第2〜8号における藤村忠の論文(1966〜1969) | 一次資料(大学公式の紀要目次) |
| 北海学園大学「開発論集」1970〜1979年 | 第10〜16号における藤村忠の論文(1970〜1973) | 一次資料(大学公式の紀要目次) |
| 国立国会図書館サーチ『各国不動産金融制度の発達に関する研究』 | 1961年7月、北海道大学農学博士学位論文の刊行記録、藤村忠1896年生 | 一次資料(書誌) |
| note「銀行家・藤村忠の西欧金融史を読む」(中村宗悦) | 藤村忠の銀行員・学者としてのキャリア、「証券金融会社の経営にも携わった」の裏づけ | 二次資料(銀行史研究者) |
『生きて行く私』・晩年の宇野千代関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 宇野千代『生きて行く私』 | 藤村忠の孫からの手紙エピソード、同封写真、千代の返信(原本・一次資料) | 一次資料(本人著書) |
※動画で紹介した「孫からの手紙」エピソードは、宇野千代『生きて行く私』が一次資料です。
『追憶の父』・筆名変更関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 日本近代文学館「宇野千代展――100年の旅人」 | 『追憶の父』原稿(滝田樗陰コレクション)の所蔵確認、展示情報 | 一次資料(博物館展示情報) |
| 昭和館図書検索システム『中央公論』大正12年11月号 | 1923年11月号「淡墨色の憂愁」の著者名義「藤村千代」確認 | 一次資料(雑誌目次) |
| 岩波書店『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』 | 『追憶の父』非収録の確認 | 一次資料(出版社公式) |
| 中央公論新社 電子書籍検索(宇野千代) | 『追憶の父』の電子書籍化状況確認 | 一次資料(出版社公式) |
| NPO宇野千代生家「父・俊次の死」 | 父・宇野俊次の人物像、「バルザックかドストエフスキー」原文 | 一次資料に近い(生家記念館公式) |
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- 🎥 動画:【ブラッサム】宇野千代の生涯・年表
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第10週「タイトル未確認」(11月30日~):視聴率-%
第10週は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災から、1926年(大正15年)春までの約2年半。馬込文士村の始まり、編集長・黒崎(モデル:滝田樗陰)の死、そして吉屋信子・門馬千代をモデルにした「女二人で暮らすということ」――密度の濃い一週間が描かれます。
動画では、史実解説のテーマを4つに絞ってお届けしています。
- 関東大震災と、馬込文士村の始まり――ドラマは約4年分を圧縮
- 編集長・黒崎のモデル、滝田樗陰の最期と芥川龍之介の見舞い
- 1926年、女二人で暮らすということ――吉屋信子と門馬千代、47年の共同生活
- 馬込文士村の麻雀ブーム
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動画に入りきらなかった、第10週の補足
「馬込村」「馬込町」――行政区分の変遷
動画では「馬込村」「馬込町」の呼称を混在して使っていますが、正式な行政区分の変遷は以下の通りです。
- 1889年(明治22年)~:荏原郡馬込村
- 1928年(昭和3年)1月1日:町制施行で荏原郡馬込町へ
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京市編入で大森区の一部となり、馬込町は廃止
尾崎士郎・宇野千代が転居した1923年5月時点は「荏原郡馬込村」、川端康成が転居した1928年5月時点は「荏原郡馬込町」――ちょうど町制施行の直後にあたります。細かい話ですが、年譜類で表記が揺れている背景には、この行政区分の変遷があります。
川端康成の馬込転居を誘ったのは、本当に尾崎士郎か
動画では「川端康成も、尾崎に呼ばれて来た一人」と紹介しました。この経緯は、鶴見大学図書館の貴重書展「川端康成とその時代」展示解説でも「1928年5月、尾崎士郎に誘われ馬込へ転居」と裏付けが取れています。川端の馬込在住は1928年5月~1929年9月17日の約1年4か月で、転出先は上野桜木町でした。
「天祖神社のレリーフ・43人」の正確な位置づけ
動画で紹介した「大森駅西口・天祖神社の石段のレリーフ」について、「43人」という数字の出所を補足します。これは馬込文士村の全住人数ではなく、天祖神社参道のレリーフとして顕彰されている人数のことです。馬込文士村全体の住人数は、「約80人」とする資料と「100人にも達した」とする資料があり、どこまでを「文士」としてカウントするかで変わります。
「お化け屋敷」と呼ばれた、下落合の家
動画では「下落合の、玄関がなくサンポーチから出入りする、畳のない文化住宅」と紹介しました。この家は、通称「お化け屋敷」と呼ばれていたという記述も一部で見られますが、呼称の初出や広く定着したものかどうかの裏付けが取れなかったため、動画・記事とも断定表現は避けています。
新宿区ゆかりの人物データベースでは「大正15年、下落合にバンガロー風の家」と記録されており、現在の住所では新宿区下落合2108番地にあたります。
『婦人公論』1930年5月号「同棲愛の家庭訪問」
動画では「ドラマで下世話に報じられていた、という場面は史実に照らしても十分あり得る描写」と紹介しましたが、確認できる最も近い記事は、昭和館デジタルアーカイブで目次確認できる『婦人公論』1930年5月号「同棲愛の家庭訪問/吉屋信子さんと門馬千代子さん/B記者」です。
ただし、この記事はドラマの時代設定(1926年)より4年後のもの。1926年当時にリアルタイムで二人の同居を報じた具体的な雑誌記事は、今回確認できませんでした。神戸大学・中山修一著作集では、この記事内で紹介されている「3組の同棲愛カップル」の引用があり、「吉屋・門馬」の他にも同時代の同性カップルが取り上げられていたことが分かります。
吉屋信子の言葉「家が出来たら…」の出典について
動画で引用した吉屋信子の言葉「家が出来たら私は分家し戸籍を持って全く独立して戸主になり千代ちやんを形式上養女の形…ここが現在の法律の困るところ…」については、朝日新聞書評で紹介された神奈川近代文学館「吉屋信子展」で初公開された書簡が出典とされています。書簡の推定時期は1924年9月頃。――つまり、ドラマの風子のセリフと響き合うこの言葉は、吉屋がまだ門馬との同居を始める前(同居開始は1926年)に、未来の構想として書かれたものだったことになります。
明治民法14条の「妻の無能力者」規定――現代との違い
動画で触れた明治民法14条「妻が左に掲げた行為をなすには夫の許可を受けることを要する」は、以下のような行為を列挙していました(抜粋)。
- 不動産や重要な動産の権利の得喪を目的とする行為
- 借財または保証をすること
- 贈与、和解、仲裁契約
- 相続の承認・放棄
- 訴訟行為 など
この規定は戦後、1947年(昭和22年)の民法改正で廃止されました。1926年当時、独身を貫いた吉屋信子が「分家して戸主になる」という選択をしたのは、この「妻の無能力者」規定から自由であり続けるための、極めて戦略的な決断でもあったわけです。
第10週 参考資料・出典一覧
動画で引用・参照した資料の一覧です。信頼性の目安として、一次資料/二次資料を併記しています。
参考書籍
関東大震災・馬込文士村関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 馬込文士村公式「交流の歴史」(大田区) | 最盛期=大正末〜昭和初期、以降は落ち着きを取り戻す | 一次資料(地元公式) |
| 馬込文士村公式「楽しみ方」 | 天祖神社階段のレリーフ、文士村の歩き方 | 一次資料(地元公式) |
| Wikipedia「馬込文士村」 | 100人説、尾崎士郎の「馬込放送局」、原型「大森丘の会」 | 二次資料 |
| Wikipedia「馬込町(東京府)」 | 1928年1月1日町制施行、1932年10月1日廃止 | 二次資料 |
| Wikipedia「尾崎士郎」 | 1923年5月、宇野千代と結婚し馬込へ、1930年8月に離婚 | 二次資料 |
| Wikipedia「川端康成」 | 1928年5月馬込転居、1929年9月17日上野桜木町へ | 二次資料 |
| 鶴見大学図書館 貴重書展「川端康成とその時代」 | 1928年5月、尾崎士郎に誘われ馬込へ転居 | 一次資料(展示解説) |
| 川端康成「上野桜木町時代」を歩く | 1929年9月、馬込から上野桜木町へ転居 | 二次資料 |
| Wikipedia「萩原朔太郎」 | 1926年11月馬込転居、1929年7月前橋へ | 二次資料 |
| 前橋文学館 萩原朔太郎年譜 | 1926年11月の馬込転居記録 | 一次資料に近い(公的機関) |
| Wikipedia「広津和郎」 | 1926年頃馬込、1930年世田谷豪徳寺へ、1934年3月16日検挙 | 二次資料 |
| Wikipedia「室生犀星」 | 1932年4月、大森区馬込町東へ転居 | 二次資料 |
| Wikipedia「三好達治」 | 1927年10月、馬込に下宿(萩原朔太郎に呼ばれて) | 二次資料 |
| 大田区報「宇野千代と馬込文士村」 | 宇野の馬込在住は大正12年〜昭和4年頃 | 一次資料(自治体広報) |
滝田樗陰・『中央公論』関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 青空文庫「滝田君」芥川龍之介 | 「金太郎とあだ名した滝田君とは別人かと思うほど憔悴していた」原文 | 一次資料(青空文庫) |
| 青空文庫「滝田哲太郎氏」芥川龍之介 | 追悼文全文、樗陰の人物評 | 一次資料(青空文庫) |
| 青空文庫 図書カード「鼻」 | 初出『新思潮』1916年2月 | 一次資料(書誌情報) |
| 青空文庫 図書カード「手巾」 | 初出『中央公論』1916年10月――樗陰が芥川に初めて書かせた一編 | 一次資料(書誌情報) |
吉屋信子・門馬千代関連
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| Wikipedia「吉屋信子」 | 1923年1月 門馬千代と出会い、1926年 下落合2108 | 二次資料 |
| Wikipedia「門馬千代」 | 1899年2月17日生、1923年1月12日出会い、1957年2月3日養子縁組 | 二次資料 |
| 新宿区ゆかりの人物データベース 吉屋信子 | 大正15年、下落合にバンガロー風の家 | 一次資料に近い公的データベース |
| 昭和館デジタルアーカイブ『婦人公論』1930年5月号 | 「同棲愛の家庭訪問/吉屋信子さんと門馬千代子さん/B記者」 | 一次資料(目次確認) |
| 神戸大学 中山修一著作集 | 『婦人公論』同記事に取り上げられた3組の同棲愛カップルの引用 | 学術的二次資料 |
| 神奈川近代文学館 吉屋信子展 | 書簡「家が出来たら…」の初公開 | 一次機関の公式 |
| 朝日新聞書評(吉屋信子展) | 1924年9月推定の書簡を紹介 | 二次資料 |
| 明治民法14条(law-platform) | 妻の行為に夫の許可を要する規定の条文 | 一次資料(条文) |
馬込文士村の麻雀
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| Wikipedia「麻雀」 | 第一次麻雀ブームと麻雀連盟 | 二次資料 |
| 日本麻雀連盟とは | 1929年発足、初代総裁・菊池寛 | 二次資料 |
| Wikipedia「宇野千代」 | 1930年に東郷と知り合い同棲、1934年四谷で東郷とともに検挙 | 二次資料 |
| Wikipedia「東郷青児」 | 1934年検挙 | 二次資料 |
| 宇野千代聖地(公式系) | 広津和郎に麻雀の手ほどきを受けたエピソード | 一次資料(生家団体公式) |
| 山口県観光連盟 宇野千代 | 麻雀エピソード、刑事との会話 | 二次資料 |
| 宇野千代の東京を歩く | 昭和4年に東郷青児と世田谷区山崎へ転居、昭和5年離婚 | 二次資料 |
スキドラ関連記事・動画
| タイトル | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| スキドラTV「滝田樗陰×嶋中雄作」動画 | 『中央公論』の師弟リレー、樗陰の生い立ちと編集者としての手腕 | 自チャンネル |
| スキドラTV「吉屋信子の生涯」動画 | 吉屋信子の作家としての歩み、作品歴 | 自チャンネル |
| スキドラTV「東郷青児」動画 | ドラマ「夏井銀児」のモデル、宇野千代との関係 | 自チャンネル |



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