第11週「タイトル未確認」(12月7日~):視聴率-%
- プロローグ:7日間しかなかった昭和元年と「光文事件」
- 史実①:三浦のモデル候補・編集者 上泉秀信と、売れなかった12年の尾崎士郎
- 史実②:「梶矢基一郎」の正体=梶井基次郎
- 史実③:1冊1円の「円本ブーム」と1927年の出版地図
- 史実④:『女工哀史』細井和喜蔵と、妻・高井としを/俊子が辞めてきた「岩国の工場」
朝ドラ「都新報」のモデルと思われる「都新聞」の立ち位置
動画では都新聞の沿革(1884年『今日新聞』創刊→1889年『都新聞』改称→1942年『東京新聞』へ)を簡単に触れましたが、ここではなぜ都新聞が尾崎士郎『人生劇場』の舞台になり得たのか、その「新聞の性格」を補足します。
都新聞は、1919年に実業家・福田英助が買収して株式会社化し、第1面に文芸欄を新設しました。これは当時の大新聞(朝日・毎日)とは対照的な方針で、演芸・花柳界・文芸に強い「都市娯楽紙」としての色を鮮明にした動きです。中里介山『大菩薩峠』(1913〜1919年、断続的に連載)という大ヒット連載を抱え、長谷川伸・平山蘆江といった「文人記者」が集まる編集体制が1920年代に整っていました。
つまり、1933年に上泉秀信が尾崎士郎に『人生劇場』を依頼できたのは、都新聞が「無名〜中堅の作家に連載1面を任せる」土壌を10年以上かけて育てていたから、という背景があります。ドラマで「都新報の三浦」が一路に声をかける構図は、史実の都新聞の編集文化とよく符合しています。
参考:
連載中断は「検閲・従軍・病気」が理由だった
動画では「尾崎士郎の年譜に人気不振での打ち切りは確認できない」とお伝えしましたが、当時の新聞連載小説が実際にどんな理由で中断していたのかは補足しておきたい点です。
確認できた代表例は次の通りです。
| 作家 | 作品 | 中断年 | 中断理由 |
|---|---|---|---|
| 徳田秋声 | 『縮図』(都新聞) | 1941年・第80回 | 情報局の干渉(検閲) |
| 尾崎士郎 | 『石田三成』(都新聞) | 1938年8月 | 従軍のため中断 |
戦前の新聞連載小説は、「人気がないから終わらせる」よりも、国家による検閲・言論統制、戦争動員、そして作家本人の健康問題によって断ち切られるケースが記録として残っています。ドラマの「2か月で打ち切り」は、現代的な出版業界の感覚で描かれた創作上の設定と見るのが妥当です。
参考:
1921年時事新報懸賞小説、その後の三者の歩み
動画では「一等・宇野千代/二等・尾崎士郎/佳作・横光利一」が同じ懸賞に名を連ねたお話をしました。ここでは、この3人がそれぞれどう文壇に出ていったかを年表で補足します。
| 年 | 宇野千代 | 尾崎士郎 | 横光利一 |
|---|---|---|---|
| 1921年 | 時事新報懸賞 一等『脂粉の顔』 | 時事新報懸賞 二等『獄中より』 | 同懸賞 選外佳作 |
| 1923年 | 尾崎と同棲開始 | 宇野と同棲開始 | ― |
| 1924年 | ― | 単行本『獄中より』刊行 | 『文藝時代』創刊に参加(新感覚派) |
| 1926年 | 尾崎と正式結婚 | 『三等郵便局』刊行 | 『日輪』『蠅』で新感覚派の旗手に |
| 1930年 | 尾崎と離婚 | 宇野と離婚、『世紀の夜』刊行 | 『機械』で評価確立 |
| 1933年 | ― | 都新聞『人生劇場』連載開始 | 『紋章』『寝園』 |
同じ年、同じ懸賞の、結果的に全員が後世に名を残したという事実そのものが、1921年という年の文壇の層の厚さを示しています。宇野千代が「文章がこんなに金になるのか」と語った賞金額は、資料によって200円・100円と記載が分かれており、現時点で一つに確定するのは難しいため、動画・記事ともに両論併記にしています。
参考:
『青空』300部の同人誌はどこで売られていたのか
動画では、梶井基次郎の『檸檬』が発行部数300部の同人誌『青空』創刊号(1925年1月1日)に掲載されたこと、梶井が「彼らは書店で(30銭を払って)買って読む義務がある」と文壇の大家への寄贈を拒んだエピソードをご紹介しました。
ここで補足したいのは、『青空』は同人6名で立ち上げた、まったく無名の雑誌だったということです。創刊同人は、梶井基次郎のほか、中谷孝雄・外村茂(外村繁)・三好達治・忽那吉之助・浅沼喜実の6名。東京帝国大学の学生中心のメンバーで、資金も販路も限られていました。
30銭という価格は、当時の大衆雑誌『キング』(1925年創刊、1冊50銭)より安く、学生が自腹で作って学生に売る雑誌という性格だったと分かります。その300部の創刊号巻頭に『檸檬』が置かれ、100年後に高校教科書の定番教材になっている──という事実の重みを、改めて書き留めておきたいところです。
梶井自身の回想「『青空』のことなど」(青空文庫で全文公開)には、創刊までの経緯が本人の言葉で残っています。
参考:
円本ブームと、同時期に起きた出版の構造変化
動画では、1926年11月の改造社『現代日本文学全集』予約開始(予約23万人・23万円)と、翌1927年の岩波文庫創刊をお話ししました。ここでは、1927年前後に何が同時に起きていたかを一覧にして補足します。
| 年 | 出版社 | 動き |
|---|---|---|
| 1926年11月 | 改造社 | 『現代日本文学全集』予約開始(1冊1円・全巻予約制) |
| 1926年12月 | 改造社 | 第1回配本『尾崎紅葉集』 |
| 1927年 | 新潮社 | 『世界文学全集』刊行開始 |
| 1927年7月 | 岩波書店 | 岩波文庫創刊(「読書子に寄す」) |
| 1928年 | 平凡社 | 『現代大衆文学全集』刊行開始 |
当時の1円は、大学卒の初任給(約50円)の約2%。決して安い本ではありませんが、それまでの文学全集に比べれば桁違いに安価でした。円本・全集類の総発行点数は300万冊以上と推定されています。
「円本」という呼び名は出版社の命名ではなく、1925年の大阪市、1927年の東京市に登場した「円タク」(市内1円均一のタクシー)から派生した俗称、と伝えられています。
参考:
細井和喜蔵と高井としを ― 刊行後の『女工哀史』
動画では、『女工哀史』(1925年7月10日、改造社刊、初版3,000部、1926年夏に第26刷)、著者・細井和喜蔵が刊行約1か月後の1925年8月18日に28歳で死去したこと、妻・高井としをを岩波書店が「共作者」と表現していることをお伝えしました。
ここで補足しておきたいのは、細井の死後、妻・高井としを自身が自分の言葉で本を残していることです。『わたしの「女工哀史」』が、2015年に岩波文庫として刊行されています。10歳で紡績女工になり、東京モスリン亀戸工場で細井と出会い、事実婚で暮らし、『女工哀史』の取材と口述の中核を担ったとしをの回想録です。
2025年は『女工哀史』刊行100年の年にあたり、岩波書店が記念の発信を行っています。
参考:
1920年代の女工の実態 ― データで見る
動画では「10代から20歳前半が中心」「愛媛県1923年調査の賃金・労働時間」をご紹介しました。ここでは別の地域・時代の調査データを並べ、当時の女工労働の全体像を補足します。
| 地域・年 | 項目 | 数値 |
|---|---|---|
| 長野県・1901年(205製糸工場) | 20歳未満の比率 | 66% |
| 豊橋・大正期(製糸女工) | 14〜20歳の比率 | 約90% |
| 愛媛県・1923年(紡績・16歳以上) | 1日賃金 | 1円8銭 |
| 愛媛県・1923年(製糸・16歳以上) | 1日賃金 | 96銭 |
| 愛媛県・1923年(紡績) | 1日労働時間 | 2交替で約10時間 |
| 愛媛県・1923年(製糸・工場法適用工場) | 1日労働時間 | 13時間 |
| 福井県・1920年(15歳女性) | 結核死亡率(人口10万人対) | 763人 |
工場法は1916年に施行され、1日12時間以内と定められましたが、適用除外・特例が多く、地域と業種で実態に大きな差がありました。寄宿舎での生活、外出制限、手紙の開封・没収、強制預金──これらを『女工哀史』は「二重の桎梏」と表現しています。
参考:
1927年1月、岩国で動き出した「新しい繊維工場」
動画では、ドラマの俊子が辞めてきた「岩国の工場」との関連で、1927年1月に帝国人造絹糸(のちの帝人)の岩国工場が操業を開始したことを触れました。
ここで補足しておきたいのは、この工場が従来の綿紡績・製糸ではなく、レーヨン(人造絹糸)という当時の新しい化学繊維の工場だったことです。帝国人造絹糸は1918年設立、1927年に岩国工場で長繊維レーヨンの本格生産を開始しました。岩国市の公式資料にも「昭和2年、化学繊維工場が立地」と記されています。
ただし、ドラマの俊子がこの帝人岩国工場で働いていたかどうかは本編で明示されておらず、「ちょうどその頃、岩国に新しい工場が動き出していた」という時代背景が重なる、というレベルの話です。
参考:
第11週 参考資料・出典URL一覧
参考書籍
| タイトル/URL | 内容・確認目的 | 備考 |
|---|---|---|
| 昭和(Wikipedia) | 1926年12月25日改元、昭和元年は7日間 | 二次資料 |
| 都新聞(Wikipedia) | 創刊・改称・合併の沿革、文人記者 | 二次資料 |
| Historist「都新聞」 | 1888年11月『みやこ新聞』、1889年2月『都新聞』 | 二次資料 |
| コトバンク「都新聞」 | 1884年9月『今日新聞』創刊 | 二次資料 |
| 東京新聞(kotobank) | 都新聞から東京新聞への合併経緯 | 二次資料 |
| 大菩薩峠(Wikipedia) | 都新聞連載期間1913-1919年 | 二次資料 |
| 新聞小説(kotobank) | 1回1200-1600字、連載100-300回の目安 | 二次資料 |
| 大正期の原稿料高騰(gendai.media) | 原稿料1枚10-20円、小説家協会設立 | 二次資料 |
| コトバンク「日本文芸家協会」 | 小説家協会1921年発足 | 二次資料 |
| 上泉秀信(kotobank) | 生没年、早稲田英文中退、都新聞での役職 | 二次資料 |
| 上泉秀信(Wikipedia) | 戯曲集『村道』、『人生劇場』連載依頼 | 二次資料 |
| 尾崎士郎(Wikipedia) | 懸賞小説入選、『獄中より』、作品一覧 | 二次資料 |
| 宇野千代(Wikipedia) | 1921年時事新報懸賞、同棲1923年・結婚1926年・離婚1930年 | 二次資料 |
| 人生劇場(Wikipedia) | 1933年連載開始、1935年単行本、映画化回数 | 二次資料 |
| 映画.com「人生劇場 飛車角」 | 1963年3月16日公開、沢島忠監督 | 二次資料 |
| 石田三成連載論文(J-STAGE) | 1938年4月都新聞連載、同年8月従軍で中断 | 一次資料(学術論文) |
| 縮図(Wikipedia) | 1941年都新聞連載、第80回で中断 | 二次資料 |
| 梶井基次郎(Wikipedia) | 生没年、同人誌『青空』、1932年死去 | 二次資料 |
| 青空(雑誌)Wikipedia | 創刊1925年1月1日、同人6名、創刊号30銭 | 二次資料 |
| 梶井「『青空』のことなど」(青空文庫) | 創刊経緯の一次証言 | 一次資料 |
| 近代日本人の肖像 梶井基次郎(NDL) | 1924年東大入学、1925年『青空』創刊 | 一次資料 |
| 円本(Wikipedia) | 23万人・23万円、初任給2%、300万冊、円本成金 | 二次資料 |
| 女工哀史(Wikipedia) | 1925年7月刊行、初版3000部、第26刷 | 二次資料 |
| 細井和喜蔵(Wikipedia) | 小学校5年中退、13歳入社、28歳没 | 二次資料 |
| 『わたしの「女工哀史」』岩波書店 | 高井としを略歴、10歳で紡績女工、亀戸工場 | 一次資料(出版社公式) |
| 岩波書店「『女工哀史』刊行100年」 | としをを「共作者」と表現 | 一次資料(出版社公式) |
| 連合総研『女工哀史』 | 「二重の桎梏」、全20項目構成 | 二次資料 |
| IDE-JETRO「女子労働の給源」 | 女工の出身・前貸金制度 | 二次資料 |
| IDE-JETRO「製糸技術と女子労働」 | 長野県205工場調査、年齢構成 | 二次資料 |
| えひめの記憶 | 愛媛県1923年の賃金・労働時間 | 一次資料(県史編纂資料) |
| 豊橋市史(adeac.jp) | 豊橋製糸女工、9割が14-20歳 | 一次資料(自治体史料) |
| 結核の歴史(Wikipedia) | 福井県1920年、15歳女性の結核死亡率 | 二次資料 |
| 帝人 公式沿革 | 1927年岩国工場操業開始、レーヨン長繊維 | 一次資料(企業公式) |
| 岩国市 公式資料 | 昭和2年、化学繊維工場立地 | 一次資料(自治体公式) |



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