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【ブラッサム】東郷青児の生涯|宇野千代が「二番目に好き」と語った同棲相手・『色ざんげ』を生んだ画家|出典・参考資料まとめ

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2026年後期NHK朝ドラ『ブラッサム』のヒロイン・葉野珠のモデル、宇野千代(1897〜1996)の生涯には、4人の夫のほかに「もう一人、重要な男」がいます。それが、画家・東郷青児(とうごう・せいじ/1897〜1978)。錦戸亮さんが演じる洋画家・夏井銀児(なつい・ぎんじ)のモデル。千代が「二番目に好きだった」と後年語った男性で、代表作『色ざんげ』を生む決定的なきっかけとなった人物です。

この記事では、YouTubeチャンネル「スキドラTV」で公開した解説動画の参考資料・出典URLをまとめるとともに、動画では触れきれなかった補足情報を掲載しています。動画を見てくださった方が、一次情報を確認したいときに使っていただければ幸いです。

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東郷青児とはどんな人物か(動画のまとめ)

項目内容
生没年1897年(明治30年)4月28日 〜 1978年(昭和53年)4月25日/享年80
出身鹿児島県鹿児島市稲荷馬場町
本名東郷鉄春(とうごう・てつはる)
家系旧薩摩藩士の家系。幼少期に家族で東京へ移住
学歴青山学院中学部卒業/リヨン美術学校専科
主な受賞二科賞(1916年『パラソルさせる女』)/昭和洋画奨励賞(1928年)/日本芸術院賞(1957年)/フランス政府 芸術文化勲章オフィシエ(1969年)/勲二等旭日重光章(1976年)
主な役職二科会会長(1961年〜)
千代との関係4年間の同棲相手(1930〜1934年)。千代が「二番目に好きだった」と回想した男性
千代の代表作との関わり『色ざんげ』(1933〜35年連載)のモデルであり、口述の元となった人物

19歳で二科賞を受賞して日本美術界のど真ん中に立ち、24歳でフランス留学。パリで7年間を過ごし、ピカソとも交流を持ちました。帰国後は妻がいる状態で別の女性と結婚披露宴を挙げ(重婚状態)、その披露宴からわずか1か月後に別の女性と心中未遂を起こすという、大きなスキャンダルを引き起こします。

その心中未遂事件の直後、取材を申し込んできたのが宇野千代でした。世田谷の東郷宅を訪ねた千代は、そのまま帰らず同棲を開始。二人で聞き書きのように作り上げた小説が、千代の代表作の一つ『色ざんげ』です。同棲は約4年で解消され、東郷は心中未遂の相手だった西崎盈子(みつこ)のもとへ戻り、1939年に正式に入籍しました。

戦後は「青児美人」と呼ばれる甘美な女性像で昭和を代表する画家となり、二科会の再建に尽力。1961年に二科会会長に就任し、1976年には東郷青児美術館(現在のSOMPO美術館の前身)が開設されました。1978年、二科展のために訪れた熊本で急性心不全のため死去、享年80。

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動画では触れきれなかった補足情報

「重婚披露宴」の女性関係の全体像

動画では「妻・永野明代」「披露宴の相手・中村修子」「心中未遂の相手・西崎盈子」の3人の名前を出しましたが、実はこの1928〜1929年の1年間、東郷の身のまわりで起きた出来事は次のように整理できます。

  1. 1920年(大正9年) — 23歳のとき、永野明代(はるよ)と結婚(1度目の結婚)。留学中も婚姻関係が継続。
  2. 1928年(昭和3年) — 31歳で7年ぶりに帰国。西崎盈子(当時19歳)に初対面で結婚を申し込むが、盈子の親の反対で一度別れる。
  3. 1929年(昭和4年)2月 — 明代と籍が残ったまま、実業家の娘・中村修子と結婚披露宴(重婚状態)。
  4. 1929年(昭和4年)3月 — 披露宴のわずか1か月後、東郷は西崎盈子と大手町の自宅で心中未遂。メスで頸動脈を切ってからガス栓を開けるという方法で、二人とも救出されて命は取り留めた。
  5. 1929年以降 — 盈子は実家に事実上の軟禁状態に。
  6. 1930年(昭和5年) — 千代が取材に訪れ、そのまま同棲開始。
  7. 1934年(昭和9年)5月 — 千代と別れた東郷は、盈子と正式に結婚(実際は明代・修子との清算後)。この時点でようやく明代・修子との関係を法的に整理したことになります。

この一連の流れは、SOMPO美術館の公式コレクション解説・東京文化財研究所の物故者記事のほか、宇野千代生家NPOの記述で確認できます。

事件の瞬間は「東郷・修子・盈子」の三角関係でしたが、戸籍上は前妻(明代)が残っており、事件のわずか後には宇野千代が入れ替わりで入ってきたため、1929年前後の東郷青児の周りは、3つの関係が同時に空中分解して次の関係へとなだれ込む「超・四角関係(あるいはそれ以上)」のパニック状態だったと言えます。

18歳のとき、山田耕筰のアトリエで絵を描いていた

動画では「19歳で二科賞受賞」から入りましたが、その前年、18歳の東郷は作曲家・山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室を借りてアトリエにしていました。ここで代表作『コントラバスを弾く』などを制作しています。同年9月には日比谷美術館で個展を開催し、これを機に画家・有島生馬(作家・有島武郎の弟)に師事することになります。19歳の二科賞受賞は、この師弟関係の中で生まれたものでした。

娘・東郷たまみは、水谷八重子・朝丘雪路とトリオを組んだ

動画終盤で紹介した東郷青児の娘・たまみ(1939〜2016)。動画では「画家でありながら歌手としても活動」と紹介しましたが、もう少し詳しく紹介できます。1955年に映画デビュー、翌1956年に二科展初入選。昭和30年代前半、水谷八重子(新派の大女優・水谷八重子の娘)、朝丘雪路(美人画で第一人者だった伊東深水の娘)と「親の七光り3人娘」としてトリオを組み、歌謡界にデビューしました。

その後は画家として活動し、二科会絵画部会員として父の作品世界を継承しました(※「二科会会長も務めた」との記述が複数の二次資料にありますが、二科会公式サイトでは「絵画部会員」までしか確認できず、この点は要確認)。

千代の『おはん』出版記念会(1957年7月23日、東京会館)で、たまみは18歳。父・青児とともに出席し、千代のためにピアノを弾いて祝ったのはこの会でのことです。

東郷青児が「戦争画を描かなかった」意味

動画終盤で「東郷は戦争画をほとんど描かなかった」と触れました。これは同時代の藤田嗣治との比較で語られることが多いテーマです。

  • 藤田嗣治は、『アッツ島玉砕』などの大作戦争画を次々に発表し、戦後は「戦争責任」を問われて日本を離れた
  • 東郷青児は、戦時中も基本的に甘美な女性像を描き続けた。1943年に第2回大東亜戦争美術展に《出發》を招待出品した記録はあるが、藤田のような戦争画は描いていない
  • 結果として、東郷は戦後、戦争責任を問われることなく、1945年秋にはいち早く二科会再建に着手できた(東京文化財研究所の物故者記事に「敗戦直後に二科会再建に尽力、美術団体のなかでもっとも早く再建に成功」との記述)

「なぜ戦争画を描かなかったのか」については、①女性像の画家だったため軍からの依頼が来なかった、②東郷自身が戦争画を避けた、など複数の見方があり、確定的なことは言えません。ただ、この「戦争画を描かなかった」という事実が、戦後の東郷が二科会の中心として動き、SOMPO美術館の前身・東郷青児美術館開設まで至った経緯の前提条件であったことは間違いありません。

『スタイル』創刊号の題字を東郷が書いた意味

動画では終章で「別れた男が別れた女の新しい仕事に名前を書いた」と語りました。1936年、千代が創刊した日本初のファッション誌『スタイル』の表紙絵は藤田嗣治、題字は東郷青児が担当しています。

この人選は、後から見ると当時の日本洋画界の頂点にいた二人を千代が動かせたということを意味します。1936年時点で、千代は東郷と別れて2年、藤田嗣治とはまだ戦争画論争が起きる前。千代の交友関係の広さと影響力が読み取れるエピソードです。

東郷青児美術館 → SOMPO美術館への変遷

動画では「いくつかの変遷を経てSOMPO美術館に繋がる」と省略しましたが、正確な流れは次のとおりです。

  • 1976年7月 — 「東郷青児美術館」開館(安田火災海上本社ビル42階)
  • 1978年 — 東郷の死去に伴い、遺族から作品約150点の寄贈を受ける
  • 1987年 — ゴッホ『ひまわり』を購入
  • 1990年代以降 — 「安田火災東郷青児美術館」→「損保ジャパン東郷青児美術館」→「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」と、母体の合併に合わせて名称変更
  • 2020年7月 — 現在の場所(新宿区西新宿)に移転し、「SOMPO美術館」に改称

なお、SOMPO美術館では2027年1月9日〜2月21日に「生誕130年 東郷青児展」の開催が予定されており、開館50周年の節目とも重なります。『ブラッサム』放送期間中の時期にあたるため、ドラマ視聴者にとってはタイムリーな企画展になりそうです。

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動画で触れた事項の精度補足

世田谷の住所表記の揺れ

千代と東郷が同棲した世田谷の家について、動画では「淡島(現・世田谷区代沢のあたり)」と表現しました。ただし、宇野千代生家NPOの年譜では「世田谷町山崎に転居」とされており、資料により表記に揺れがあります。同一の家を指している可能性が高いものの、断定は避けました。

東郷の長男・志馬の「引き取り」の主語

動画本編では「東郷の長男・志馬(しま)も一緒に暮らしました」と表現し、「二人が引き取った」という言い切りは避けました。宇野千代側の資料では、離婚後の1933年に千代が新居を建てて志馬を引き取った、との記述もあり、同棲期の同居と、離別後の千代側の引き取りは分けて読むべき可能性があります。

別離の年(1933年か1934年か)

動画では別離を「1934年」としました。宇野千代生家NPO・宇野千代顕彰会の年譜、および東郷が盈子と正式に一緒に暮らし始めた時期(1934年)から逆算した表記です。ただし『色ざんげ』連載開始(1933年9月)の頃から関係が冷えていたことは複数資料が示唆しており、「1933年に破綻、1934年に別離」と幅を持たせて読むのが安全です。

「精神的に参っていた」の出典

心中未遂事件後の東郷の精神状態について、動画では「伝えられています」と伝聞形で処理しました。これは一次資料ではなく二次資料(note記事など)に基づく記述のためです。

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動画の重要ポイント(時系列まとめ)

  • 1897年(明治30年)4月28日 鹿児島市稲荷馬場町に誕生。本名・東郷鉄春
  • 1910年(明治43年) 青山学院中学部入学(13歳)
  • 1915年(大正4年) 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作(18歳)/日比谷美術館で初個展/有島生馬に師事
  • 1916年(大正5年) 第3回二科展に『パラソルさせる女』出品、二科賞受賞(19歳)
  • 1920年(大正9年) 永野明代と結婚(23歳)
  • 1921年(大正10年) フランス留学(24歳〜31歳)
  • 1928年(昭和3年) 7年ぶりに帰国、昭和洋画奨励賞受賞(31歳)/西崎盈子と出会う
  • 1929年(昭和4年)2月 中村修子と結婚披露宴(明代と離婚しないまま重婚状態)
  • 1929年(昭和4年)3月 西崎盈子と大手町の自宅で心中未遂
  • 1930年(昭和5年)4月 宇野千代の取材から同棲開始/馬込→世田谷に転居
  • 1930年(昭和5年)8月 千代と尾崎士郎が正式離婚
  • 1933年(昭和8年)9月 千代の『色ざんげ』が『中央公論』で連載開始
  • 1934年(昭和9年)5月 千代と別離/盈子と正式結婚
  • 1935年(昭和10年)3月 『色ざんげ』連載完結
  • 1936年(昭和11年) 千代が創刊した『スタイル』の題字を担当
  • 1939年(昭和14年) 盈子の妊娠を機に、正式入籍
  • 1940年(昭和15年) 長女・たまみ誕生
  • 1943年(昭和18年) 第2回大東亜戦争美術展に《出發》を招待出品
  • 1945年(昭和20年) 敗戦直後、二科会再建に尽力
  • 1957年(昭和32年)7月 千代の『おはん』出版記念会に、娘たまみとともに出席/たまみがピアノを演奏
  • 1957年(昭和32年) 日本芸術院賞受賞
  • 1961年(昭和36年) 二科会会長就任(64歳)
  • 1969年(昭和44年) フランス政府から芸術文化勲章オフィシエ
  • 1976年(昭和51年) 勲二等旭日重光章/東郷青児美術館開設
  • 1978年(昭和53年)4月25日 二科展のため訪れていた熊本で急性心不全のため死去、享年80
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参考URL一覧

一次資料(公式・公的機関)

出典内容
SOMPO美術館|東郷青児 コレクション生没年・学歴・受賞歴・二科展デビュー・パリ留学・二科会活動・作品240点収蔵
SOMPO美術館|沿革1976年「東郷青児美術館」開館〜現SOMPO美術館までの名称変遷
SOMPO美術館|生誕130年 東郷青児展(2027年1月9日〜2月21日)開館50周年記念・生誕130年記念展の告知
東京文化財研究所|東郷青児 物故者記事詳細年譜・敗戦直後の二科会再建・死去の経緯
二科会 NIKA NEWS No.69(2016)PDF東郷たまみ逝去情報(享年77・二科会絵画部会員)
一般社団法人 二科会デザイン部|理事長ご挨拶昭和53年4月の東郷青児会長死去と、翌年の社団法人化
宇野千代生家(NPO)公式サイト千代の年譜・東郷との同棲と別離・盈子との関係
宇野千代生家NPO|二番目に好きだった男(東郷青児)東郷本人の月報コメント原文・娘たまみのピアノ演奏
宇野千代生家NPO|色ざんげ執筆背景『色ざんげ』の執筆背景・「その画家は東郷青児」の記述
宇野千代生家NPO|詳細年譜千代と東郷の同棲・世田谷転居記述
宇野千代顕彰会|私製年譜昭和5年の同棲開始・青児と4年で離婚の記述
国立国会図書館|近代日本人の肖像 宇野千代1930年の東郷との同棲・『色ざんげ』刊行の記録

二次資料(メディア・専門サイト)

出典内容
artscape|生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ(村田真レビュー)「戦争画を描いた形跡がない」の指摘/1943年《出發》招待出品の記録/藤田嗣治との対比
Wikipedia|東郷青児生涯全体の概観/複数女性関係/娘たまみ誕生/二科会活動
Wikipedia|東郷たまみたまみの生年・立教女学院・二科展初入選・歌手活動
Wikipedia|SOMPO美術館美術館の沿革・東郷作品コレクションの詳細
美術手帖|SOMPO美術館が新宿に開館財団設立時に東郷から作品約200点+収集品約250点の寄贈を受けた経緯
八王子市夢美術館|東郷青児展 女性礼讃2010年開催の回顧展年譜・64歳で二科会会長就任などの記録
新潮社|『色ざんげ』作品紹介作品概要・「巴里帰りの若い画家の情死事件」記述
山口県観光サイト|宇野千代特集千代と東郷の出会い・「二番目に好き」の記述
ギンザ経済新聞|『スタイル』創刊経緯創刊号の表紙絵=藤田嗣治、題字=東郷青児の記録
花田美術|東郷青児山田耕筰との関わり・リヨン美術学校・略歴

NHK公式(ドラマ関連)

出典内容
NHK公式『ブラッサム』番組トップドラマ全体の公式情報
Wikipedia|ブラッサムドラマ基本情報

※本記事作成時点(2026年9月16日)で、東郷青児モデル役のキャスト・役名は未発表です。発表があり次第、追記します。

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参考書籍一覧

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