PR

【あんぱん】昭和10年のラジオはいくら?昔の値段と普及率から見る“かまじいの憧れ”の意味とは

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

朝ドラ『あんぱん』第12回〜13回では、パン食い競争の優勝賞品が「ラジオ」であることが話題に。町の人々が「奮発したな〜!」と驚くなか、釜じい(朝田釜次・吉田鋼太郎)が「ラジオをもろうてきてくれ」と頼むシーンが多くの視聴者の心を打ちました。

ラジオが特別な家電として登場したこのシーン、実は単なるノスタルジーではありません。当時のラジオは、価格も、普及率も、そして人々にとっての存在価値も、今とはまったく違う“夢の箱”だったのです。

この記事では、昭和10年(1935年)のラジオを取り巻く価格放送受信料・普及率・社会的背景をもとに、ドラマ『あんぱん』で描かれたラジオの意味や、釜じいの想いがどれほど深いものだったのかを紐解いていきます。

ちゃはむ
ちゃはむ

朝田家に電気が通ってるの?というのが気になったけど、1935(昭和10)年の電灯普及率は89%だった1よ。

おはむ
おはむ

当時の電気は「照明」が主で、発電所も「電灯局」って呼ばれていたんだとか!朝田家でもちゃんと証明は使えていたんだね◎

スポンサーリンク

昭和10年、ラジオはいくらだった?

ドラマ『あんぱん』第12回では、パン食い競争の優勝賞品が「ラジオ」と聞いて町の人々驚く場面がありました。その反応、実はとてもリアル。というのも――昭和10年(1935年)当時、ラジオの価格はまだ庶民にとって簡単に手が出せるものではなかったのです。

ちゃはむ
ちゃはむ

今でいうと、いくらぐらいするものだったのか調べてみると…簡単なモデルでも“月給1か月分”だったとか!

ラジオには大きく分けて2種類ありました。

  • 📻 鉱石式ラジオ:5〜6円ほど(イヤホン専用で音質も貧弱)2
  • 📻 真空管式ラジオ:およそ50円〜100円以上(音質良・スピーカー内蔵)3

当時の大卒初任給は約70〜90円、公立教員の初任給は45〜55円ほどだった4ため、真空管式のラジオは月給1か月分に相当する“高級家電”でした。

おはむ
おはむ

現代だと冷蔵庫かハイエンドのパソコンみたいな存在?今の感覚でいうと10万円〜20万円くらいの価値だったってことかぁ…。

つまり、釜じいがあれほどラジオを欲しがったのも、「遠い世界を知るため」だけでなく、“なかなか手に入らない憧れの品”だったからとも言えるのです。

¥1,540 (2025/04/04 18:22時点 | Yahooショッピング調べ)
\GWスマイルセール開催中!/
Amazon
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場
スポンサーリンク

ラジオの“普及率”はどのくらい?誰でも持っていたの?

昭和10年の時点で、日本のラジオの受信契約数は約240万件5とされており、全国の世帯数と比較すると普及率は10%未満でした。

ちゃはむ
ちゃはむ

当時のラジオはどこの家にでもあるものではなく、持ってる人は“町で注目される存在”だったんだね◎

つまり、「ラジオを持っている家」は、今でいう「最新スマート家電を完備している家庭」以上の存在感があったのです。

特に、都市部の中流以上の家庭が主な所有層で、農村部や職人世帯などではまだまだ“夢の家電”。ドラマ内で釜じいのような石工職人の家にラジオがなかったのは、ごく自然な時代背景と言えるでしょう。

逆に、柳井千尋が「うちには父のラジオがあるから」とのぶに譲ったラジオは、裕福な家庭である“町医者の家”にはすでにラジオがあったということの裏づけにもなっています。

おはむ
おはむ

やっぱり、千尋くん家はお金持ちだったんだね!“ラジオのある家”は、町でもひと目置かれる存在だったんだよ〜!

また、当時のラジオは単なる情報源ではなく、「近所に人を集めてラジオ体操」や「相撲中継を一緒に聞く」といった地域のコミュニケーションツールとしての役割もありました。

ちゃはむ
ちゃはむ

のぶが地域の子を集めてラジオ体操していたのは、そういう時代背景があったんだね~。ラジオのあるところに、人が集まるって面白いね♪

スポンサーリンク

放送受信料って何?「持ってるだけ」じゃ済まなかった!

ラジオがまだ“特別な家電”だった昭和10年(1935年)、実はラジオを持つには本体を買うだけでは不十分でした。

おはむ
おはむ

当時のラジオは買ったら終わりじゃなくて、ちゃんと契約して“月額50銭”払わなきゃいけなかったんだって!

当時のラジオは、いわば「NHK放送を聴くための機械」であり、聴取には“放送受信契約”が必須だったのです。これは現代のNHK受信料制度の前身とも言える仕組みで、すでにこの時代から「契約+月額料金」がセットになっていました。

昭和10年の受信料は月額50銭(=0.5円)、年間で6円の支払いが必要6でした。一見すると安く見えますが、当時の庶民の月給(20〜30円)と比べると、おおよそ月収の1.5〜2.5%にあたります。

ちゃはむ
ちゃはむ

今の感覚なら…月1000円くらいのイメージ?電気代と同じくらいの“固定費”だったってことかぁ…。

しかも、契約のためには――

  • 📄 手続きが必要(郵便局や役所に申請)
  • 📻 受信機の製造番号や型式を記入
  • 🧠 技術的な知識も必要(アンテナの設置など)

と、今のように“テレビを置いたら勝手に映る”というわけではなかったのです。

つまり、ラジオは「買うのも大変」「聴くのも一苦労」な贅沢品。釜じいのような家庭では、ラジオを持つ=“家の格を上げる投資”だったのかもしれません。

¥4,500 (2025/04/17 03:45時点 | Yahooショッピング調べ)
\GWスマイルセール開催中!/
Amazon
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場
スポンサーリンク

ラジオは“暮らしを変える魔法の箱”だった

昭和10年当時のラジオは、いまのような“ながらメディア”ではありませんでした。1台あるだけで、家族みんなが集まり、耳を澄ませ、目の前にない世界を想像する時間が生まれる。まさに、暮らしを変える“魔法の箱”だったのです。

おはむ
おはむ

ただの家電じゃなく、もっと夢が詰まってた◎釜じいのセリフ、「遠い町、遠い国のことを知りたい」に全部詰まってるよ~♪

📡 情報インフラとしてのラジオ

  • 天気予報や農業情報、政府の通達、戦争のニュースなど
  • 地方に住む人々にも“中央の情報”が届くように

🎧 娯楽の中心に

  • 落語や音楽、相撲中継、朗読など、家族全員で楽しめる番組多数
  • 子どもたちはラジオ童話やラジオ体操に夢中に

📚 教養の入り口

  • 識字率が低かった層にも、“耳から学べる”初めてのメディア
  • ラジオ講座・ニュース解説などが“家庭教師”のような役割を果たす

地方に住み、一生を同じ土地で過ごす人も多かった時代。ラジオは、「今、東京ではこんなことが起きている」「アメリカではこうらしい」といった“世界との接点”を与えてくれる存在でした。

ちゃはむ
ちゃはむ

時代背景を知ると、釜じいの「遠い町、遠い国のことを知りたい」ってセリフが、胸にじんわりくる…。ラジオ=夢や希望そのものだったんだね◎

そしてこの視点で改めて見ると、パン食い競争の賞品がラジオだった理由が分かってきます。それは単なる“モノ”じゃなくて、“未来を受け取る権利”だったのかもしれません。

NHK出版
¥1,430 (2025/04/17 03:45時点 | Yahooショッピング調べ)
\GWスマイルセール開催中!/
Amazon
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場
スポンサーリンク

釜じいがラジオを欲しがった理由は、息子の見た景色・夢を見たかったから

『あんぱん』第12回で釜じいが「パン食い競争で優勝して、ラジオをもろうてきてくれ」と頼んだシーン。普段は頑固で職人気質な釜じいが、あんなにも感情を込めて語ったのは初めてのことでした。

おはむ
おはむ

なんで釜じい、あんなにラジオ欲しがったのかな?と考えてみると…それはきっと、“亡き息子との想い”をつなぎたかったから…!

そのときのセリフ――

「ラジオがありゃあ、いろんな世界が分かるじゃろ。遠い町…遠い国のこと。わしも知りたい。感じてみとうなったがじゃ。」

この一言には、亡くなった息子・結太郎(加瀬亮)の夢が込められていました。

結太郎は「アメリカにもイギリスにも負けん貿易会社を作る!」と、海外に夢を抱き、実際に世界を飛び回っていた人物。そんな息子の見ていた世界を、自分も“少しでも感じてみたい”――それが、釜じいのラジオへの想いの根底にあるのです。

ちゃはむ
ちゃはむ

ただの賞品じゃなくて、“結太郎の目線に近づく道具”だったなんて!?ラジオが“家電”じゃなくて“物語をつなぐ鍵”になってるのが泣けるよね◎

また、ラジオをめぐるこの物語構造は、朝ドラ『カムカムエヴリバディ』とも共通しています。あちらでも、ラジオが「物語の扉を開く装置」として何度も登場し、戦前〜戦後にかけてラジオと共に生きた人々の人生が描かれていました。

『あんぱん』でも、ラジオはただの家電ではありません。夢を追う人、過去を悔やむ人、未来に希望を持つ人――それぞれの想いを“声”でつなぐ装置だったのです。

スポンサーリンク

まとめ:ラジオ1台に詰まった「希望と憧れ」を、もう一度

昭和10年のラジオは、給料1か月分以上の高級家電。しかも、受信契約が必要で、全国でもわずか10%未満しか普及していないステータスシンボルでもありました。

それでも人々がラジオを欲したのは、ただ便利だったからではなく――「遠い世界とつながりたい」「夢や希望に近づきたい」という切実な思いがあったからです。

ドラマ『あんぱん』の中で描かれるラジオは、そうした時代の憧れや家族の絆を象徴する存在。たった1台のラジオが、物語の核心に触れ、視聴者の心にも深く響くのは、あの時代に生きた人々の“リアル”を映しているからなのかもしれません。

おはむ
おはむ

ラジオ一つで見えてくるものがいっぱいある!時代背景を知れば朝ドラがもっと面白くなるね♪

【朝ドラ時代考察】関連記事

参考文献・出典

  1. 昔の電気は半日契約!?明治から昭和にあった「電気なムーブメント」(電気事業連合会) ↩︎
  2. 真空管式ラジオの低価格化と普及(日本ラジオ博物館) ↩︎
  3. 放送のはじまりと初期のラジオ(日本ラジオ博物館)、総務省統計局「日本の長期統計系列 第24章 通信・放送」 ↩︎
  4. 昭和30年年次経済報告 都市生活者の状況(内閣府経済企画庁 ↩︎
  5. NHK放送受信契約数統計要覧<令和5年度>放送開始以降各年度別受信契約数に、昭和10年当時2, 422, 111と記載 ↩︎
  6. NHK放送受信契約数統計要覧<令和5年度>放送開始以降の放送受信契約に関する主要事項 ↩︎
mina

当サイトでは、話題の好きなドラマ情報をお届けします。

原作(小説・漫画・アニメ)のあらすじ・ネタバレ感想、ドラマのあらすじ・ネタバレ感想、原作との違い、原作書籍や配信先を紹介します。

推理小説好きなので、ミステリー要素がある作品が多くなるかも?気になる作品をピックアップしていきます。
他にもタイドラマのサイトを運営しているので、興味のある方は下記のサイトマークから覗いてみてください♡

minaをフォローする
タイトルとURLをコピーしました