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『あんぱん』嵩の美術学校進学は実話!やなせたかしの東京高等工芸学校進学と重なる青春エピソード

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『あんぱん』第5週「人生は喜ばせごっこ」では、嵩が美術学校へ進学するエピソードが描かれますが、「これは実話?」、「やなせたかしさんの青春と重なるの?」…と気になった方も多いのでは?

本記事では――

を、わかりやすく解説します。

ちゃはむ
ちゃはむ

嵩の進学、やなせさんの青春そのものだった!?実話とドラマがリンクする瞬間を覗いてみよう。

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【ネタバレ】医者から絵の道へ:『あんぱん』嵩の進学は、やなせたかしの実話

『あんぱん』で描かれる嵩(北村匠海)の進学エピソードですが、どこまで実話なのでしょうか。母が再婚したため伯父に引き取られ育てられたやなせさんですが、開業医をしている伯父(柳瀬寛)に「学費を出すから医院を継がないか」と打診されたこともあります。

『近代土佐人』,高知尚文社,昭和14.
『近代土佐人』,高知尚文社,昭和14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1037185 (参照 2025-04-27)

一度は受験をしたものの、ドラマ同様に美術学校への進学を決意します。よって、嵩の進学エピソードは、モデルとなったやなせたかしさんの実話がベースになっています

【ドラマ】嵩の進学先
【実話】やなせたかし氏の進学先
  • 東京高等芸術学校(仮名)デザイン科
  • 1937年(昭和12年)、東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン学科)に進学。

しかも、その後の美術学校受験に失敗し、浪人生活を送った後に進学…という点まで、嵩とやなせさんで一致しているんです!

おはむ
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ドラマはフィクションだけど、嵩が悩んでた姿は、そのままやなせさんの青春に重なるね◎

項目嵩(ドラマ『あんぱん』)やなせたかしさん(実話)
進学先東京高等芸術学校(仮名)デザイン科東京高等工芸学校図案科(現・千葉大)
進学年昭和12年(1937年)頃(推定)昭和12年(1937年)
進学前の状況医者志望→進路変更→浪人東京美術学校・京都高等工芸を受験→浪人
進路選択の葛藤医者か芸術かで迷うデザインか美術かで迷う

このように、嵩の物語はやなせたかしさんが夢に悩み、進路を切り開いた青春そのもの✨フィクションと実話が重なり合うエピソードとなっています。

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【実話①】やなせたかしの志望校は、東京美術学校(芸大)!進学校は、東京高等工芸学校

やなせたかしさんが最初に目指したのは――東京美術学校図画師範科(現在の東京藝術大学)。

ただし、当時の芸大入試は超難関!やなせたかしさん(本名:柳瀬嵩)は、東京美術学校図画師範科(現・東京藝術大学)や京都高等工芸学校図案科(現・京都工芸繊維大学)を受験するも不合格。

1年間の浪人生活を経て、1937年(昭和12年)に東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン学科)に進学しました

ちゃはむ
ちゃはむ

芸大って、今も昔も狭き門なんだね…!

東京美術学校(芸大)と東京高等工芸学校の違い

学校名設立年位置づけ学科内容
東京美術学校(芸大)1887年純粋美術( fine art )重視絵画・彫刻・工芸・図画師範科など
東京高等工芸学校11921年工業デザイン・図案中心図案科(デザイン)、工芸、建築など

学科構成と特色

東京美術学校(芸大)
東京高等工芸学校
  • 絵画・彫刻など“芸術作品”の創造を主眼に置く
  • 教員養成(図画師範科)もあったため、美術教師志望も多い
  • 工業デザイン・実用的な図案制作が中心
  • バウハウスの影響を受け、構成・造形教育が進んでいた(詳細は後述)
おはむ
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芸大が“アート”で、工芸学校が“デザイン”って感じかな?東京高等工芸学校は、実業専門学校ということだね。

やなせさんは“実用的なデザイン”の道を選び、ポスターや広告など身近なアートへと進んでいった2んです。

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【実話②】デザイン科では何を学んだ?1930年代の美術教育とバウハウスの影響

嵩が進学したデザイン科(図案科)では、デッサン・構成・色彩・ポスター制作など、実用的なデザインの基礎から応用までを学びました。

特に1930年代の日本では、ドイツ発祥のバウハウス思想が美術教育に大きな影響を与えていた3んです。

バウハウス思想とは?

  • 1919年にドイツで創立された、芸術と工芸の融合を目指す学校4
  • 「美術(アート)」と「工業(デザイン)」を結びつける考え方が特徴
  • シンプルな形・機能美・合理性を重視

この考え方が、日本の工芸学校にも輸入され――

  • 構成原理(どう配置するか)
  • 造形論(形の美しさを追求)などの授業が取り入れられました。
ちゃはむ
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嵩が“構成”とか習ってたら、ちょっとワクワクする!

1930年代・図案科の学び【日本×バウハウス】

項目内容
デッサン基礎の形・陰影を捉える訓練
構成配置・バランスの取り方
色彩色の組み合わせ・調和
ポスター制作実際の広告デザインを学ぶ
造形論(バウハウス)シンプルで機能的なデザイン思考
おはむ
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ポスター作り、今で言う“グラフィックデザイン”だね!

嵩もこんな風に、デザインの基礎をみっちり学びながら新しい時代の“表現”を模索していたのかもしれませんね!

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【実話③】やなせたかしの青春時代:進学から卒業、戦争時代の歩み

嵩の未来――それは、モデルとなったやなせたかしさんの歩みとも重なります。

やなせたかし年表56
  • 1937年
    (昭和11年)
    東京高等工芸学校図案科に進学
    • 浪人生活を経て、1937年に図案科へ進学
    • デザインの基礎から学び、ポスター制作などの実践も経験
  • 1939年
    (昭和14年)
    卒業後:田辺製薬宣伝部でポスター制作
    • 卒業後は、製薬会社田辺製薬の宣伝部に就職
    • ポスターや広告デザインに従事し、ここでデザイナーとしての経験を積みました
  • 1941年
    (昭和16年)
    戦時中:中国戦線へ従軍
    • 徴兵され、中国戦線へ出征
    • この経験が、やなせさんの平和への想い「アンパンマン」に込められた“正義”のテーマに深く影響を与えた
  • 1946年
    (昭和21年)
    戦後:漫画家・絵本作家・デザイナーへ
    • 高知新聞社に入社し、同僚の小松暢(こまつ のぶ)と出会い1947年に上京し結婚
    • フリーの漫画家・絵本作家・グラフィックデザイナーとして活躍✨
    • 『アンパンマン』の誕生は、なんと50歳を過ぎてから!生涯を通して、平和・希望・やさしさを届け続けました
ちゃはむ
ちゃはむ

卒業後は身近な“広告”の世界へ進んだやなせさん。戦争がやなせさんの“芯”を作ったそう。嵩の将来も、きっとこんな風につながっていくんだろうね。

嵩が今後、どんな道を歩み、何を描くのか――それは、やなせさんの人生と重なりながらも、新しい物語として紡がれていくはずです。

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まとめ:嵩の進学エピソードは“夢を追ったやなせたかし”そのもの!

『あんぱん』で描かれる嵩の進学ストーリーは、モデルとなったやなせたかしさんの青春時代そのまま!

  • 医者か芸術かで悩み、浪人を経て進学
  • デザイン科で学び、戦争という時代の波に翻弄される

そんなやなせさんの実体験を下敷きに、嵩もまた、夢と現実のはざまで進路を切り開いていきます。

おはむ
おはむ

迷って、悩んで、それでも前に進む嵩が胸アツ…!やなせたかしさんが歩んだ、戦争と美術のはざまを生きた人生を反映している朝ドラ✨

ちゃはむ
ちゃはむ

実話を知ると、嵩のこれからの歩みが、もっと気になってくるね。やなせたかしさんの書籍は多く出ているので、ぜひチェックしてみてください。

≫【あんぱん】のぶの進学先「女子師範学校」はどんなところ?実際の寮生活はこちら

参考文献、資料:

  1. 図案教育からデザイン教育へ 一 小山清男氏へのインタビュー(J-STAGE) ↩︎
  2. やなせたかし伝|anpanman-museum.net ↩︎
  3. 日本のデザイン教育とバウハウス|jstage.jst.go.jp ↩︎
  4. バウハウス(Wikipedia) ↩︎
  5. やなせたかし伝|anpanman-museum.net ↩︎
  6. やなせたかし(Wikipedia) ↩︎
mina

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