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【風、薫る】今井益男のモデル・佐藤三吉|正岡子規を手術した”国手”の知られざる物語【出典・参考資料まとめ】

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この記事は、YouTube動画「【風、薫る】今井益男のモデル・佐藤三吉|正岡子規を手術した”国手”の知られざる物語」の補足記事です。

動画では伝えきれなかった情報の補足と、動画制作にあたって参考にした書籍・資料・WebサイトのURLをまとめています。

▶ 大関和の生涯についてはこちら:朝ドラ「風、薫る」主人公のモデル・大関和とは?

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動画の内容(概要)

2026年前期朝ドラ「風、薫る」で古川雄大さんが演じる今井益男。そのモデルと考えられる佐藤三吉の生涯を、6つのパートで紹介しました。

パートテーマポイント
導入正岡子規の手術シーン明治30年3月27日、河東碧梧桐の立会い証言を引用。「天下無二の国手」と呼ばれた男の紹介
パート1佐藤三吉とは何者か大垣藩士の三男として1857年に誕生。父の死後、義兄の援助で上京。東大卒業後にスクリバの助手→ベルリン大学留学
パート2セントトーマス病院見学帰国途中にナイチンゲールが看護学校をつくったロンドンの病院を見学。帰国後に帝大教授に就任
パート3大関和との建議書事件1888年に看病婦取締として配属された大関和が、1890年に根回しなしで建議書を提出。三吉は和を評価しつつも解任し、知命堂病院を紹介
パート4正岡子規の手術脊椎カリエスに苦しむ子規の手術を執刀。碧梧桐の詳細な証言を紹介
パート5日本外科学会の創設ほか濃尾地震の救護活動、日本外科学会初代会長、歯科教室の設置、帝大学長就任、1943年没
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動画で触れなかった補足情報

没年の矛盾について(1941年説 vs 1943年説)

佐藤三吉の没年について、資料間で1941年(昭和16年)と1943年(昭和18年)の2つの記載があります。動画では「1943年」を採用しましたが、その判断根拠を整理します。

「1943年(昭和18年)6月17日」を支持する資料:

資料名記載内容
Wikipedia「佐藤三吉」冒頭1943年(昭和18年)6月17日
東京大学デジタルアーカイブ1943(昭和18)年6月17日、逝去
コトバンク(20世紀日本人名事典)昭和18(1943)年6月18日 ※1日ずれあり
Monumento(東大胸像の碑文転記)昭和18年、肺炎により没
soutairoku.com(銅像データ)昭和18年(1943)
官報第4933号(1943年6月24日)「従二位」叙位の記録

「1941年(昭和16年)」とする資料:

資料名記載内容
Wikipedia「佐藤三吉」本文の略歴部分1941年(昭和16年):肺炎により逝去
shinobi.jp(胸像解説ブログ)昭和16年(1941)、肺炎により没

判断の根拠: 官報第4933号(1943年6月24日付)に「従二位」の叙位記録があります。日本では死亡時に位階を追贈する慣例があり、これは1943年6月17日の死亡を裏付ける一次資料です。東京大学デジタルアーカイブという大学公式の資料も1943年としています。

一方、shinobi.jpの「昭和16年」は胸像碑文のブログによる転記であり、碑文の「昭和18年」を「昭和16年」と読み間違えた可能性があります(Monumento上の同じ胸像碑文は「昭和18年」です)。Wikipedia本文の略歴部分はこのブログを参照した可能性があり、Wikipedia内部で冒頭と本文が矛盾しています。

なお、コトバンク(20世紀日本人名事典)の「6月18日」は、他のすべての資料が「6月17日」としていることから、1日ずれている可能性があります。

正岡子規の手術日について(3月27日 vs 3月28日)

動画では「明治30年3月27日」としましたが、資料によって日付が異なります。

資料日付
河東碧梧桐『子規の回想』3月27日
子規庵公式サイト(shikian.or.jp)3月27日
岩手医大紀要PDF3月27日
NDLレファ協(国立国会図書館)3月28日

河東碧梧桐は手術に実際に立ち会った人物であり、その証言は一次資料に最も近いといえます。子規庵公式サイトも同じ日付です。動画では一次証言を優先し「3月27日」を採用しました。

NDLレファ協の「3月28日」については、参照した資料の時点で1日ずれが混入した可能性があります。

正岡子規の手術は2回?3回?

動画では「2回」としましたが、千葉医療センターの『センターニュース第98号(PDF)』には以下の記載があります。

翌1896年には脊椎カリエス(結核菌に背骨が侵される)の状態に至り、同年3月に一回、翌年は3月、4月、5月の三回、東大外科佐藤三吉教授の手術を受けて…

この資料によると、明治30年(1897年)だけで3回の手術が行われたとされています。一方、NDLレファ協やその他の多くの資料は「2回」としています。

これは、腰部に管を刺す処置を「手術」と数えるかどうかの違いと考えられます。碧梧桐の証言でも、1回目の手術の中で管を「二度び刺し替えた」とあり、処置の区切りをどう数えるかで回数が変わります。動画では最も広く引用されている「2回」を採用しました。

スクリバとの師弟関係について

動画では「卒業後にスクリバの助手になった」とのみ触れましたが、スクリバ(Julius Karl Scriba、1848-1905)はドイツ出身のお雇い外国人で、1881年から1901年まで東京大学で外科学を教えた人物です。三吉はその門下生の一人であり、スクリバの指導のもとで近代外科手術の基礎を学びました。

なお、濃尾地震(1891年)では、三吉とスクリバがともに被災地での救護活動に参加しています。千葉医学会雑誌のPDFに「濃尾震災救護途上」として、三吉やスクリバを含むメンバーの写真が掲載されています。

妻・滋子と小崎利準について

Wikipedia「佐藤三吉」には「妻の滋子(1871年生)は小崎利準の長女」と記載されています。小崎利準は、明治期に東京帝国大学で活動した人物ですが、動画では佐藤三吉の医学的業績とドラマとの対応を主軸としたため、家族の詳細は割愛しました。出典は『人事興信録』第8版(昭和3年)です。

弟たちの意外な経歴

Wikipedia「佐藤三吉」によれば、三吉には2人の実弟がいました。

佐藤正美(1862年生)は、大蔵省紙幣寮を経て秋山定輔と二六新報を発刊し、1896年に渋沢栄一が発足させた東京興信所の所長に就任しています。

米山米吉(1865年生)は、動物標本社を経営して『博物学雑誌』を刊行したほか、日本興行株式会社(映画興行会社)の取締役を務めました。日本興行は葵館、浅草富士館など都内に9つの映画館を所有していた会社です。

大垣藩士の家からこれだけ多彩な兄弟が出ているのは興味深いですが、動画の本筋からは外れるため割愛しました。出典は『建築家-吉川清作の生涯と作品』(建築都市文化史誌aft 特別増刊、2017年)です。

濃尾地震の「宮中感状」の出典について

動画では「宮中から感状(お褒めの手紙)が送られた」と紹介しました。この情報の出典は、Wikipedia「佐藤三吉」の脚注14に記された『立身致冨信用公録 第14編 医学博士佐藤三吉君 P16』(国鏡社、明治36年8月)です。

なお、防災情報のページ(内閣府)に収録された「濃尾地震の被害と救済」PDFにも「帝国大学佐藤三吉氏一行」が愛知県で救護活動にあたった記録があり、佐藤三吉が実際に被災地に赴いたこと自体は複数資料で確認できます。

日本外科学会 第1回総会の会長就任年について

動画では「1899年に第1回総会で初代会長に就任」としましたが、これは1899年(明治32年)4月に開催された第1回日本外科学会総会のことです。その前段階として、1898年(明治31年)4月7日に神田青年館で発起人会(40名の医師が参加)が開かれています。

日本外科学会公式サイトの「日本外科学会の足跡」には、会長就任は「明治33年(1900年)」と記載されています。一方、Wikipedia「佐藤三吉」やshinobi.jpは「明治32年(1899年)」「明治33年(1900年)」など記載がばらけています。血管外科学会のPDFでは「明治32年に第1回総会」としています。

厳密には、1899年4月に第1回総会が開催され、この場で選出された会長が三吉です。一部の資料が「明治33年」としているのは、総会年度の数え方の違いによるものと思われます。動画では日本外科学会公式の記述と血管外科学会PDFを基に説明しました。

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参考書籍

書名著者出版社備考
大風のように生きて:日本最初の看護婦大関和物語亀山美知子ドメス出版(1992年)建議書の原文掲載(pp.53-54)、佐藤三吉と大関和の上司・部下関係(p.46)、知命堂病院への紹介(p.58)
女たちの約束:M.T.ツルーと日本最初の看護婦学校亀山美知子ドメス出版看護婦養成所の教育内容の確認に使用
佐藤三吉先生傳佐藤三吉先生記念出版委員会(1961年)Wikipedia脚注の出典。義兄・安藤就高の援助、生い立ちの一次資料
子規の回想河東碧梧桐手術の立会人証言。3月27日の手術の様子を詳細に記録
おはむ
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「佐藤三吉先生傳」は一般書店では入手困難です。国立国会図書館、岐阜県図書館等で閲覧可能です。

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出典・参考Webサイト一覧

佐藤三吉の基本情報

サイト名URL使用箇所
Wikipedia「佐藤三吉」https://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤三吉生没年、略歴、門下生、業績、家族情報の基本出典
東京大学デジタルアーカイブ 佐藤三吉関係資料https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/347d41b8-0ab9-4e31-a55f-b41a112c0ae6大学公式の経歴情報、没年(1943年6月17日)の確認
コトバンク「佐藤三吉」(20世紀日本人名事典)https://kotobank.jp/word/佐藤三吉-1078661没年の補助確認、経歴の概要
Monumento 佐藤三吉 胸像碑文https://monumen.to/spots/5623東京大学構内の胸像碑文テキスト。没年「昭和18年」の確認
soutairoku.com 銅像 佐藤三吉http://soutairoku.com/07_douzou/11_sa/satou_sankiti.html銅像の略歴データ。没年「昭和18年(1943)」の確認
shinobi.jp 佐藤三吉胸像(東京大学)http://tokyobunkyo.blog.shinobi.jp/本郷/佐藤三吉胸像(東京大学)「昭和16年没」の記載あり(※本記事の補足で検証)
Wikipedia (English) “Satō Sankichi”https://en.wikipedia.org/wiki/Satō_Sankichi没年「June 17, 1943」の確認

正岡子規の手術

サイト名URL使用箇所
NDLレファ協「佐藤三吉が正岡子規の手術を行ったことについて」https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000179543手術の事実確認(「3月28日と5月ごろの2回」)
子規庵公式サイト「正岡子規について」https://shikian.or.jp/about_siki/手術日「3月27日」の確認
千葉医療センター センターニュース第98号(PDF)https://chiba.hosp.go.jp/download/center-news/vol98.pdf「翌年は3月、4月、5月の三回、東大外科佐藤三吉教授の手術を受けて」の記載
岩手医大紀要「正岡子規の生涯」(PDF)https://iwatemed.repo.nii.ac.jp/record/2245/files/KJ00004436973.pdf手術日「三月二十七日」の確認

濃尾地震・救護活動

サイト名URL使用箇所
内閣府 防災情報のページ「濃尾地震の被害と救済」(PDF)https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1891_noubi_jishin/pdf/1891-noubiJISHIN-2.pdf「帝国大学佐藤三吉氏一行」の被災地救護の記録
千葉医学会雑誌(PDF)https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900051525/0906011.pdf「濃尾震災救護途上」の写真、スクリバとともに救護に参加した記録
日本医史学会誌 64-2(PDF)http://jshm.or.jp/journal/64-2/64-2_ip40.pdfスクリバと医局員の救護活動の記録

日本外科学会

サイト名URL使用箇所
日本外科学会「日本外科学会の足跡」https://www.jssoc.or.jp/modules/aboutus/index.php?content_id=5創立の経緯、発起人会、第1回総会の出典
血管外科学会 PDFhttps://www.jsvs.org/pdf/20021107/671.pdf第1回総会(明治32年)、開会の辞でドイツ外科学会に言及した記録

ドラマ「風、薫る」の基本情報

サイト名URL使用箇所
NHK「風、薫る」公式 出演者発表第7弾https://www.nhk.jp/g/ts/XWRG4KR6Z2/blog/bl/pzA9jOD69z/bp/pG1YEENO8G/今井益男(古川雄大)の役柄説明「ドイツ留学帰りのトップエリート」
Wikipedia「風、薫る」https://ja.wikipedia.org/wiki/風、薫る登場人物・キャストの確認
ステージナタリー 古川雄大出演発表https://natalie.mu/stage/news/661523古川雄大コメント「しばしば主人公と対立する」

看護教育の背景

サイト名URL使用箇所
ERCA コラム②「看護教育」https://www.erca.go.jp/yobou/zensoku/sukoyaka/column/202602_1/明治期の看護教育の背景
婦人公論「看病婦の実態」https://fujinkoron.jp/articles/-/8460?page=3明治期の看病婦の実態
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もっと調べたい人のために

佐藤三吉に関する独立した一般書籍は、現時点では『佐藤三吉先生傳』(1961年、佐藤三吉先生記念出版委員会著)のみです。一般書店では入手困難ですが、国立国会図書館や岐阜県図書館で閲覧できます。

大関和との関わりを知りたい方は、亀山美知子『大風のように生きて』(ドメス出版)が最も詳しく、建議書の原文(pp.53-54)も掲載されています。

正岡子規の手術について深掘りしたい方は、河東碧梧桐『子規の回想』の「カリエス手術」の章が一次証言として最も臨場感があります。

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関連動画・記事

※本記事の内容は、上記の参考資料に基づいて作成しています。資料間で記述が異なる部分(没年、手術日、手術回数など)については、複数の資料を比較検討した上で、その旨を本記事内に明記しました。

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