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朝ドラ『風、薫る』全話ネタバレ&史実まとめ|あらすじ・実話モデル・視聴率【最終回まで更新】

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NHK連続テレビ小説『風、薫る』の全話ネタバレまとめページです。放送開始から最終回まで、各週ごとのあらすじや史実モデルとの比較、さらには視聴率の推移まで詳しく解説していきます。

主人公・一ノ瀬りんと大家直美の物語は、実在した明治の看護婦大関和(おおぜきちか)鈴木雅(すずきまさ)をモチーフにしたフィクションです。本記事では各週の流れを追いながら、動画で紹介した史実情報の出典・参考資料もすべてまとめています。

全話更新していくので『風、薫る』のストーリーをまとめ読みすることができます。「最新のネタバレを知りたい」「実話との違いを知りたい」「視聴率や評判もチェックしたい」という方は、ブックマークをしておいてくださいね^^

  1. 第1週「翼と刀」(3月30日〜):視聴率14.2%
    1. 動画で解説した内容
    2. 動画の出典・参考資料
      1. 1882年のコレラ流行
      2. りん≒大関和の実像
      3. 直美≒鈴木雅の実像
      4. 大山捨松のフランス語
    3. 参考書籍
    4. ドラマと史実の比較表
  2. 第2週「灯(ともしび)の道」(4月7日~):視聴率13.5%
    1. 第2週の出典・参考資料
      1. 大関和(一ノ瀬りんのモデル)の結婚・離婚について
      2. 鈴木雅(大家直美のモデル)について
      3. 苗字の義務化(平民苗字必称義務令)
      4. マッチ工場と明治の女性労働
      5. 鹿鳴館と大山捨松
      6. 新双六淑女鑑
      7. 清水卯三郎と瑞穂屋
    2. 参考書籍
    3. 動画で触れなかった補足
  3. 第3週「春一番のきざし」(4月13日~):視聴率13.8%
    1. 第3週の出典・参考資料
      1. 大関和(一ノ瀬りんのモデル)のこの時期の動向
      2. 大関和と大山捨松の出会い
      3. 鈴木雅(大家直美のモデル)のこの時期の動向
      4. 清水卯三郎と瑞穂屋
      5. 鹿鳴館の時代背景
    2. 参考書籍
    3. ドラマと史実の比較表
    4. 動画で触れなかった補足
  4. 第4週「私たちのソサイエティ」(4月20日~):視聴率14.1%
    1. 第4週の出典・参考資料
      1. 「看護婦=賤業」という当時の社会認識
      2. 大関和(一ノ瀬りんのモデル)が看護婦を志す経緯
      3. 鈴木雅(大家直美のモデル)が看護婦を志す経緯
      4. 大山捨松と看護婦教育のつながり
      5. 桜井女学校附属看護婦養成所とアグネス・ヴェッチ
    2. 参考書籍
    3. ドラマと史実の比較表
    4. 動画で触れなかった補足
  5. 第5週「集いし者たち」(4月27日~):視聴率13.9%
    1. 第5週の出典・参考資料
      1. 桜井女学校附属看護婦養成所の設立経緯
      2. 大関和(一ノ瀬りんのモデル)の入学時の状況
      3. 鈴木雅(大家直美のモデル)の入学時の状況
      4. 第一期生の名前と人数
      5. アグネス・ヴェッチ(バーンズのモデル)
      6. 峯尾ゑい(松井エイのモデル)
      7. 矢嶋楫子(梶原敏子のモデル)
      8. ナイチンゲール『Notes on Nursing(看護覚え書)』
      9. 西周と「観察」の訳語
      10. 当時の看護婦の社会的イメージ
    2. 参考書籍
    3. ドラマと史実の比較表
    4. 動画で触れなかった補足
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第1週「翼と刀」(3月30日〜):視聴率14.2%

動画で解説した内容

第1週では、1882年(明治15年)のコレラ大流行がドラマの重要な背景として描かれました。動画ではこの史実を中心に、りん=大関和、直美=鈴木雅の「本当の姿」、さらに大山捨松のフランス語エピソードまでを検証しています。

動画の出典・参考資料

ここからは、動画を作成するにあたり参考にした資料を、テーマごとに整理して掲載します。

1882年のコレラ流行

明治15年のコレラ流行の規模・致死率・避病院の実態について確認した資料です。

りん≒大関和の実像

ドラマの主人公・一ノ瀬りんのモデルとなった大関和(おおぜきちか)の経歴について確認した資料です。

父・増虎の死因について、参考書籍(『大風のように生きて』『明治のナイチンゲール 大関和物語』)の記述をもとに「流行り病」としか記録がないことを解説。動画で「コレラ死はドラマオリジナル」とした根拠の一つ。大関和の結婚(18歳で22歳年上の男性と結婚)や離婚、子ども2人を連れての上京など、家族構成の詳細を確認しました。

直美≒鈴木雅の実像

ドラマのもう一人の主人公・大家直美のモデルとなった鈴木雅(すずきまさ)について確認した資料です。

  • Wikipedia「鈴木雅 (看護師)」
    1858年生まれ、静岡の士族の娘、横浜共立女学校・フェリス・セミナリーでの英語教育、帝大病院の看護婦長など、基本経歴の出典です。
  • NHK公式ブログ 制作ノート
    NHKが本作を「実在人物をモチーフに大胆に再構成したフィクション」と位置づけている公式見解の出典です。
  • NHK公式ブログ 直美キャスト発表
    大家直美役に上坂樹里さんが決定した際の制作発表記事。鈴木雅の資料が少ないことに触れています。

大山捨松のフランス語

捨松の語学力と、夫・大山巌とのフランス語会話エピソードについて確認した資料です。

参考書籍

動画制作にあたり、以下の書籍も参考にしました。

  • 田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)
    大関和の生涯を描いたノンフィクション。NHK朝ドラ『風、薫る』の原案となった書籍です。父・増虎の死因についても記述があります。
  • 亀山美知子著『大風のように生きて 日本最初の看護婦 大関和物語』
    大関和の生涯をたどった伝記。家族構成、結婚・離婚の経緯、看護婦としての活動など詳細な記録が含まれています。
  • 連続テレビ小説 風、薫る Part1 

ドラマと史実の比較表

動画で取り上げた内容の比較表です。

ドラマの描写史実か解説
1882年コレラ大流行✅史実全国で患者51,631人、死亡33,784人
「コロリにかかると7割死ぬ」✅ほぼ正確実際の致死率は約65%
避病院=恐怖の隔離施設✅史実仮小屋・劣悪な環境だった
栃木・那須でも流行✅史実栃木県医師会資料に記録あり
りんの父がコレラで死亡❌創作実在の父・増虎は1876年に「流行り病」で死去
りんは17歳・那須の農家の娘❌創作モデルの大関和は24歳・東京在住
縁談相手が大幅に年上✅史実22歳年上の男性と結婚
「家老の家柄」「なぎなた」✅史実ベース父は黒羽藩筆頭家老
直美は孤児・マッチ工場勤務❌創作モデルの鈴木雅は士族の娘
直美が英語を話す✅史実共立女学校・フェリスで英語教育
捨松が英語&フランス語を使う✅史実米国留学11年、仏語・独語も堪能
捨松と大山巌がフランス語で会話✅史実薩摩弁と会津弁が通じず仏語が共通語に
ぽじはむ
ぽじはむ

動画は放送前に作成しているので、実際のあらすじと異なる場合があります。ドラマのあらすじは、動画制作時点での公式情報に基づいています。

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第2週「灯(ともしび)の道」(4月7日~):視聴率13.5%

第2週の出典・参考資料

以下は、第2週の史実解説動画で参照した資料・出典の一覧です。

大関和(一ノ瀬りんのモデル)の結婚・離婚について

鈴木雅(大家直美のモデル)について

苗字の義務化(平民苗字必称義務令)

マッチ工場と明治の女性労働

鹿鳴館と大山捨松

新双六淑女鑑

清水卯三郎と瑞穂屋

参考書籍

  • 田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)  ─ 朝ドラ「風、薫る」の原案。大関和の結婚・離婚・看護の道への経緯を詳述。鈴木雅の「夫を看護できなかった後悔」の発言もこの書籍に収録
  • 亀山美知子『大風のように生きて:日本最初の看護婦大関和物語』(ドメス出版)  ─ 大関和の生涯を詳細にたどった評伝
  • 亀山美知子『女たちの約束 M・T・ツルーと日本最初の看護婦学校』(ドメス出版)  ─ 桜井女学校と看護婦養成所の設立経緯、マリア・ツルーの役割

動画で触れなかった補足

  • 看護婦養成所の入学年について:大関和と鈴木雅が桜井女学校付属看護婦養成所に入学したのは1887年(明治20年)1月です。養成所の開設・設置は1886年(明治19年)11月ですが、実際の入学(授業開始)は翌年1月でした。(出典:女子学院特設サイト
  • 渡辺福之進豊綱の名前について:原案書籍『明治のナイチンゲール 大関和物語』ではプライバシーに配慮し「柴田豊之進福綱」という仮名が使用されています。栃木県大田原市の資料では本名の「渡辺福之進豊綱」と記載されています。
  • 鈴木雅の出身校について:Wikipediaの記述では、共立女学校に加えてフェリス・セミナリー(現・フェリス女学院)でも学んだとされています。一方、東大病院看護部刊行の『看護のあゆみ』では「フェリス女学校に学び」とのみ記載されており、資料間で記述に若干の差異があります。いずれにしても、鈴木雅が明治初期の最先端の英語教育を受けた女性であったことは確かです。
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第3週「春一番のきざし」(4月13日~):視聴率13.8%

第3週の出典・参考資料

以下は、第3週の史実解説動画で参照した資料・出典の一覧です。

大関和(一ノ瀬りんのモデル)のこの時期の動向

大関和と大山捨松の出会い

  • 「大関和と大山捨松 鹿鳴館の華との出会い」 
    ─ 原案書籍『明治のナイチンゲール 大関和物語』から該当箇所をピックアップ。鹿鳴館の慈善バザーで和が英語の対応を申し出、捨松と出会った場面の出典。また「大関和は鹿鳴館に出入りをしていたかもしれない」という記述と、洋装の写真が残っていることを言及
  • Wikipedia:大山捨松  
    ─ 1884年6月12日から3日間にわたる日本初のチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」の開催記録

鈴木雅(大家直美のモデル)のこの時期の動向

  • Wikipedia:鈴木雅 (看護師)  
    ─ 共立女学校での教育内容(英語・英文学・数学・物理・天文学)、夫・鈴木良光の経歴と仙台での病没
  • 「大家直美モデル 鈴木雅 年表」  
    ─ 原案より鈴木雅の該当箇所をピックアップ。1883年(明治16年)の夫の死亡から1887年(明治20年)の看護婦養成所入学までの空白期間を確認
  • 「鈴木雅 看護師としてどんな人だったのか」  
    ─ 原案より、鈴木雅がナイチンゲールの『看護覚え書(Notes on Nursing)』を原書で読んでいたこと、看護婦養成所での英語通訳の役割、「看護婦として自立するためにはそれなりの報酬が必要」という発言あり。
  • 婦人公論.jp「明治時代『カネのため汚い仕事も厭わない賤業』と言われた看護師」  
    ─ 「雅も夫を失ったシングルマザーでした」の記述。田中ひかる氏(原案書籍著者)による解説記事

清水卯三郎と瑞穂屋

鹿鳴館の時代背景

参考書籍

田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)  
─ 朝ドラ「風、薫る」の原案。鹿鳴館の慈善バザーでの大関和と大山捨松の出会いの場面(pp.41-42)、鈴木雅の「看護婦として自立するためにはそれなりの報酬が必要」発言(p.127)の出典

  • 亀山美知子『大風のように生きて:日本最初の看護婦大関和物語』(ドメス出版)  ─ 「大関和は鹿鳴館に出入りをしていたかもしれない」という記述の出典。上京後の消息が「あまりはっきりしない」とする記述
  • 亀山美知子『女たちの約束 M・T・ツルーと日本最初の看護婦学校』(ドメス出版)  ─ 鈴木雅が看護婦養成所で英語通訳を務めた経緯の出典

連続テレビ小説 風、薫る Part1(NHK出版)  ─ 第3週のあらすじの出典

ドラマと史実の比較表

ドラマの描写史実か解説
りんが瑞穂屋で働く❌創作瑞穂屋は実在するが、大関和がここで働いた記録はない。史実では外交官・鄭永寧の家で女中をしていた
りんが辞書で英語を独学✅史実ベース大関和が英語塾に通い英語を学んだのは史実。ただし方法は独学ではなく英語塾
卯三郎と勝海舟が知り合い⚠️不明清水卯三郎は明六社メンバーで知識人との交流はあったが、勝海舟との直接の関係は確認できない
直美が鹿鳴館のメイドになる❌創作鈴木雅が鹿鳴館で働いた記録はない
直美が身分を偽って交際❌創作小日向栄介はドラマオリジナルの人物
捨松を「欧風芸者」と揶揄✅史実当時の保守派から欧化政策への批判があった
捨松が9歳で鶴ヶ城に籠城と語る⚠️ほぼ史実多くの資料では「数え8歳」。ドラマの「九歳」は数え年の解釈による
捨松が12歳でアメリカに渡った✅史実満11歳・数え12歳で渡米(1871年)
婦人慈善会の炊き出し⚠️史実ベース捨松が鹿鳴館で慈善バザーを開催したのは史実(1884年6月)。ただし炊き出しではなくバザー
りんと捨松の接点(ドラマでは直美が接点)🔄逆転史実で鹿鳴館の慈善バザーをきっかけに捨松と出会ったのは大関和(りんのモデル)のほう
りんの母・美津が上京⚠️不明大関和の母・哲が東京に来た記録はあるが、この時期かどうかは不明

動画で触れなかった補足

  • 鄭永寧(てい えいねい)について: 
    大関和が上京後に女中として働いていた家の主人。清朝出身の外交官で、明治政府の外務省に勤務していた。その次男・鄭永慶(てい えいけい)が和に植村正度の英語塾を紹介した。鄭永慶はのちに日本初の喫茶店「可否茶館(かひさかん)」を開業した人物としても知られる。
  • 鈴木雅の就学先について: 
    第2週の補足でも触れましたが、Wikipediaには共立女学校(横浜共立学園)とフェリス・セミナリー(フェリス女学院)の両方が記載されています。共立女学校の在籍期間中に仙台で出産していたとする注記もあり、就学歴の詳細には不確かな部分があります。いずれにしても、当時の最先端の英語教育を受けた女性であったことは複数の資料で確認できます。
  • 大関和の「鹿鳴館出入り」について: 
    洋装姿の大関和の写真が現存しており、これをもとに「鹿鳴館に出入りしていた可能性がある」と推測する文献がある一方、具体的な通訳業務の内容を記した資料は見つかっていません。原案書籍『明治のナイチンゲール 大関和物語』では慈善バザーでの捨松との出会いが描かれていますが、これがどこまで史実に基づくかは不明です。
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第4週「私たちのソサイエティ」(4月20日~):視聴率14.1%

第4週の出典・参考資料

以下は、第4週の史実解説動画で参照した資料・出典の一覧です。

「看護婦=賤業」という当時の社会認識

大関和(一ノ瀬りんのモデル)が看護婦を志す経緯

鈴木雅(大家直美のモデル)が看護婦を志す経緯

大山捨松と看護婦教育のつながり

桜井女学校附属看護婦養成所とアグネス・ヴェッチ

参考書籍

  • 田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)  
    ─ 朝ドラ『風、薫る』の原案。大関和が植村正久の説得を受けて看護婦を志す経緯、鈴木雅との関係を詳述。動画で紹介した「いくら落ちぶれたとて看護婦とは情けない」の元エピソードもこの書籍を参照
  • 亀山美知子著『大風のように生きて 日本最初の看護婦 大関和物語』(ドメス出版)  
    ─ 大関和の結婚・離婚の詳細な経緯、看護婦養成所での生活を記述
  • 亀山美知子著『女たちの約束 M・T・ツルーと日本最初の看護婦学校』(人文書院)  
    ─ マリア・ツルーが桜井女学校に看護婦養成所を設立した経緯。捨松の看護婦教育所とは別の学校であることの確認に使用
  • フロレンス・ナイチンゲール著『看護覚え書 看護であること看護でないこと』(現代社)  ─ 鈴木雅が原書(Notes on Nursing)で読んでいたとされる書籍。看護の基本理念の参照に使用

ドラマと史実の比較表

ドラマの描写史実か解説
捨松が炊き出しでりん・直美に「ナースになりませんか」と勧める❌創作史実で大関和に勧めたのは牧師・植村正久。捨松は看護教育の資金援助者
養成所の授業料は月50銭、アメリカでは月30円稼げる⚠未確認原案書籍に類似の記述あり。具体的な金額の一次資料は未確認
りんが亀吉に「ナースになります」と啖呵を切って離縁❌創作史実の大関和の離婚は1880年で、看護婦を志す約6年前のこと
美津が「看病で金を得る下女」と猛反対✅史実ベース「看護婦=賤業」という社会認識は史実どおり
りんが「偏見」に気づく場面(島田の指摘)✅史実ベース大関和も「いくら落ちぶれたとて看護婦とは情けない」と一度拒否した記録あり
直美が鹿鳴館メイドを辞め、看護婦養成所に入学❌創作鈴木雅が鹿鳴館で働いた記録はない。入学動機は「夫を看護できなかった悔い」
直美と小日向(詐欺師)の関係❌創作該当する史実なし
四か月後の十二月に入学式⚠ドラマ上の設定史実の養成所設置は1886年11月、入所は1887年1月
りんと直美が同期で入学✅史実大関和と鈴木雅は桜井女学校附属看護婦養成所の1期生として同時入学

動画で触れなかった補足

  • マリア・ツルーについて
    ドラマでは捨松が養成所への入学を勧めていますが、史実で桜井女学校に看護婦養成所を開設したのは宣教師のマリア・ツルーです。マリアはアメリカ長老派教会の宣教師で、桜井女学校を実質的に運営していた人物。看護婦養成はマリアにとって生涯最後の大事業であり、1896年に亡くなるまで看護教育に尽力しました。(出典:女子学院特設サイト
  • 有志共立東京病院看護婦教育所と桜井女学校附属看護婦養成所の違い
    動画内で解説したとおり、捨松がバザーの資金で設立を支援したのは有志共立東京病院看護婦教育所(1885年設立、現・慈恵看護専門学校)であり、大関和と鈴木雅が入学したのは桜井女学校附属看護婦養成所(1886年設置)です。両者は別の教育機関ですが、いずれも1880年代半ばに開設された日本最初期の看護教育機関です。
  • 大山捨松の篤志看護婦人会での役割
    捨松は1887年に日本赤十字社篤志婦人会の「発起人」となりましたが、「理事」に就任したのは1905年(明治38年)のことです。一部の資料で1887年に「理事就任」とされるものがありますが、Wikipediaおよびアジア歴史資料センターの記載に基づき、1887年は「発起人」が正確です。
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第5週「集いし者たち」(4月27日~):視聴率13.9%

第5週の出典・参考資料

以下は、第5週の史実解説動画で参照した資料・出典の一覧です。

桜井女学校附属看護婦養成所の設立経緯

大関和(一ノ瀬りんのモデル)の入学時の状況

鈴木雅(大家直美のモデル)の入学時の状況

  • Wikipedia:鈴木雅 (看護師)  
    ─ 生年月日(1858年2月9日)、旧姓・加藤、父・加藤信盛(静岡県士族、鳥羽・伏見の戦いから五稜郭まで転戦)、共立女学校(現・横浜共立学園)修了、夫・鈴木良光の経歴と病没
  • 天理大学:「風、薫る」は日本初の看護婦大関和さん物語(鈴木紀子教授)  
    ─ 「雅さんは静岡県の士族の娘で、陸軍士官であった夫を亡くし、2人の子供のいる未亡人でしたが、看護学校に入学した時には英語が堪能で、外国人教師アグネス・ヴェッチの講義の通訳も臨床実習での指導の通訳も熟した才女」の記述。日本看護歴史学会の看護考証チームメンバーによる記事
  • ERCA「大関和に学ぶ看護師誕生の歴史②」矢野正子氏インタビュー  
    ─ 「アグネス・ヴェッチが桜井女学校附属看護婦養成所一期生の大関和や鈴木雅ら6名と、帝大医院の看病婦講習生22名の計28名に看護学を教えました」の記述。鈴木雅が慈善看護婦会を設立し東京看護婦会に改称した経緯

第一期生の名前と人数

  • 上越市公式サイト「大関和をモチーフとしたNHK連続テレビ小説」  
    ─ 「桜井女学校附属看護婦養成所に入学し、その第一期生(鈴木雅など6人)の一人となりました」の記述(6名説)
  • 婦人公論 田中ひかる氏記事  
    ─ 「新入生は和をふくめ8人」の記述(8名説)
  • 「桜井女学校看護婦養成所 卒業写真」  
    ─ p18【画報日本近代の歴史 5 】1979、https://dl.ndl.go.jp/pid/12231492/1/18
    卒業写真のキャプションから「小池たみ、鈴木雅、大関和、広瀬うめ、池田子尾、桜川里以」の6名の名前を確認

アグネス・ヴェッチ(バーンズのモデル)

  • Wikipedia:アグネス・ヴェッチ  
    ─ 「スコットランドのエディンバラの生まれ。1874年にナイチンゲール看護学校(旧エディンバラ王立救貧院病院看護学校)にて一期生として入学し、看護を学ぶ。1887年(明治20年)9月に日本政府の招聘により来日した」の記述
  • 敏塾「アグネス・ヴェッチ」  
    ─ 「1887年(明治20年)9月に日本政府の招聘により来日」「桜井女学校や東京帝国大学医科大学第一医院で看護教育を行った」の記述

峯尾ゑい(松井エイのモデル)

  • 「マリア・T・ツルーの史実」  
    ─ 「英語の語学力が非常に優れていたため、マリア・T・ツルーは、まだ学生だった峯尾ゑいに1887(明治20)年7月にアメリカに留学するまでの間、『桜井看護婦養成所』で英語の教科を担当させます」。ツルーの募金活動発起委員会の委員として名を連ねたこと

矢嶋楫子(梶原敏子のモデル)

ナイチンゲール『Notes on Nursing(看護覚え書)』

西周と「観察」の訳語

当時の看護婦の社会的イメージ

参考書籍

朝ドラ「風、薫る」の原案。大関和と鈴木雅の出会い、養成所での日々、二人の対比的な性格について詳述

公式ガイドブック。第5週のあらすじはこちらに基づいています

フロレンス・ナイチンゲール著、薄井坦子・小玉香津子訳『看護覚え書(第8版)』
 ─『Notes on Nursing: What It Is, and What It Is Not』の完訳。第13章「病人の観察」を含む

  • 亀山美知子著『大風のように生きて:日本最初の看護婦 大関和物語』(ドメス出版)  
    ─ 大関和の生涯を詳細にたどった評伝
  • 亀山美知子著『女たちの約束:M.T.ツルーと日本最初の看護婦学校』(ドメス出版)  
    ─ マリア・ツルーによる桜井女学校看護婦養成所の設立経緯、峯尾ゑいや鈴木雅の役割、募金活動発起委員会の記録

ドラマと史実の比較表

ドラマの描写史実か解説
梅岡女学校付属看護婦養成所✅史実ベースモデルは桜井女学校附属看護婦養成所(1886年11月設置)
校長・梶原敏子の教育スタイル✅史実ベースモデルの矢嶋楫子は校則なし、「自分で自分を治めなさい」の方針
教師・松井エイが英語担当+舎監⚠️一部創作モデルの峯尾ゑいは英語担当だが、1887年7月に渡米。舎監は確認できず
バーンズはスコットランド人でナイチンゲールの教育を受けた✅史実モデルのアグネス・ヴェッチはエジンバラ出身、ナイチンゲール看護学校一期生
バーンズがまだ日本に到着していない✅史実と一致ヴェッチの来日は1887年9月、養成所開校より後
第一期生は7名⚠️脚色あり史実では6名(一部資料では8名)
直美はみなしご・おかっぱ頭❌創作史実の鈴木雅は士族の娘で夫を亡くした未亡人
直美が英語堪能✅史実鈴木雅は共立女学校で英語教育を受け、ヴェッチの通訳を務めた
直美が「女郎の娘」と打ち明ける❌創作鈴木雅の父は静岡県士族・加藤信盛
玉田多江が旧幕府の奥医師の娘❓不明モデルと考えられる桜川里以の家庭環境の記録は未確認
『Notes on Nursing』を教材として翻訳⚠️創作の可能性書籍は実在。教材使用の記録は確認できず。ナイチンゲール方式の教育は史実
最終章のテーマが「observe=観察」✅史実第13章「病人の観察(Observation of the Sick)」は実在
捨松がobserveを「包み込むように見続ける」と訳す❌創作ドラマオリジナルのエピソード
島田が西周の訳語「観察」を教える✅史実ベース西周がobservationに「観察」をあてたとする研究あり
寮生活で全員が一つの部屋、炊事当番制✅史実ベース当時の寄宿舎で教師と生徒が寝食を共にしていた記録あり

動画で触れなかった補足

  • 養成所の開校時期について:
    「1886年(明治19年)11月」と「1887年(明治20年)1月」の2説があります。複数の学術論文やWikipediaは「1886年11月」を支持していますが、女子学院特設サイトでは「1887年1月に看護婦養成所に入所」と記載されています。「1886年11月に設置(認可)、1887年1月に授業開始」という解釈が妥当と考えられますが、断言はできません。
  • 桜川里以のその後:
    桜川里以は養成所修了後、大関和(外科)・鈴木雅(内科)と同じ帝国大学医科大学第一医院で看病婦取締に就任。その後、二人が退職した後に続いて退職し、キリスト教系の聖慈病院や赤坂病院を経て、マリア・ツルーが設立した「衛生園」で母・弟と同居しています。ツルーが病に倒れた際には看護を担当しました。
  • 第一期生の人数問題について:
    「6名」と「8名」の差異は、入学時と修了時の人数の違い、あるいは史料の解釈の違いによるものと考えられます。名前が確認できるのは大関和・鈴木雅・桜川里以・広瀬うめ・池田子尾・小池民の6名です。
mina

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