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【やなせたかしの反戦思想】なぜ「ぼくは戦争は大きらい」と語った?弟の戦死エピソードから考察

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「ぼくは戦争が大きらい」──そう語ったのは、アンパンマンの生みの親・やなせたかし氏。子どもたちに“やさしさ”と“勇気”を届け続けた彼の内面には、深い悲しみと後悔が刻まれていました。

中国戦地での宣撫活動、そして何より、22歳で戦死した弟・千尋の存在。やなせ氏の反戦思想は、体験した者にしか語れない“命の重み”から生まれたものでした。

この記事では、詩集『おとうとものがたり』に込められた想いと、朝ドラ『あんぱん』に描かれた実話とのつながりから、やなせたかしの“反戦のまなざし”をひも解きます。

ちゃはむ
ちゃはむ

やなせ先生の戦争体験は、著書『ぼくは戦争は大きらい』、『アンパンマンの遺書』、弟とのエピソードは詩集『おとうとものがたり』を参照しました。

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【考察】やなせたかしの「反戦思想」はどこから生まれた?

「ぼくは、戦争が大きらいなんです」やなせたかし氏が晩年、繰り返し語ったこの言葉の背景には、単なる理想論ではなく、“身をもって味わった戦争”がありました。

戦地での体験、そして最愛の弟の戦死──それは彼の人生観を決定づけた出来事でした。

弟・千尋の戦死がもたらした心の傷

やなせ氏の弟・柳瀬千尋さんは、京都帝大法科に進学した秀才でした。しかし、戦局が悪化する中で志願し、海軍中尉としてバシー海峡の海底に沈んでいきます。享年わずか22歳──遺族に届いたのは「木札ひとつ」のみでした。

おはむ
おはむ

遺体は海の底へ沈んだから骨すら帰ってこなかったなんて…。それで「仏壇の弟は、白い海軍服で微笑んでいた」って…あまりに切ないよ。

やなせ氏は、戦後こう語ります。

「なぜぼくだけが生き残ったのか、いまだにわからない」

この問いは彼の創作人生すべてに付きまとい、やがて“命の尊さ”を描くアンパンマンへと昇華されていくのです。

戦地での宣撫活動と“罪悪感”

やなせ氏は福州(中国)に派遣され、武器ではなく「紙芝居」を持って戦いました。住民に日本軍の親しみやすさを伝える“宣撫班”として、子ども向けの物語を描いていたのです。

一見、戦わない任務に思えますが、そこには別の葛藤がありました。

「鬼を退治する桃太郎=日本兵」「兄弟のように仲良く」という紙芝居の裏にあるのは、敵味方という構図そのもの。人々を“味方にする”ことも、戦争の一部でした。

ちゃはむ
ちゃはむ

戦わなくても「加担している」って思いが、重くのしかかるよね…。やなせ先生にとって、それは“芸術(自由)を冒とくした戦争”だったのかも。

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詩集『おとうとものがたり』に込めた想い

やなせたかし氏が弟について綴った詩集『おとうとものがたり』は、亡き弟・千尋への手紙のような作品です。その一篇一篇に、“過去と向き合う勇気”と“戦争への静かな怒り”が込められています。

「珊瑚」「ちいさな木札」など、代表作の詩を紹介

たとえば詩「珊瑚」では、バシー海峡で輸送船ごと沈められた弟にこう語りかけます。

なにが壮絶
なにが戦闘
弟は戦場へ向う輸送船ごと
なんにもせずに撃沈されたのだ

おとうとものがたり『珊瑚』

『海彦・山彦』では、弟の名前・千尋は“深海”を意味し、「千尋は千尋の海に沈んだ」と表現されます。名が運命を暗示したかのようなその死に、兄は怒りともつかぬ悲しみをぶつけます。

また、『ちいさな木札』では、白い骨の代わりに帰ってきた木札を見つめながら、生き残った自分への問いかけが続きます。

おはむ
おはむ

やなせ先生の挿絵もグッとくるし、実際に読んだら泣いちゃうよ…。兄として、千尋くんの“分まで生きる”覚悟が伝わってくる。

“生き残った兄”としての使命感

戦後、やなせたかしは画家・編集者としての人生を歩みますが、心には常に“弟の存在”がありました。

  • いったい君は、何をしたかったのだろう
  • 君の代わりに生き残ったぼくは、何をすればいいのだろう

この問いが彼の創作に形を与え、“本当に困っている人を救う”、“争いのない世界を創る”ために、幼児のヒーロー・アンパンマンを誕生させたのです。

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ドラマ『あんぱん』に描かれる反戦のまなざし

NHK朝ドラ『あんぱん』第12週では、嵩が紙芝居を通して住民の心を動かす姿が描かれました。実はこの展開こそ、やなせたかし自身の“心の戦争”体験をベースにした、非常に重要なシーンです。

彼の生涯を貫いた「反戦の想い」は、このドラマの中でも静かに、けれど確かに息づいています。

嵩=やなせの分身としての描写

嵩が描く紙芝居「双子の島」は、「日中は双生の兄弟」という考えをもとに構成されています。これは実際にやなせ氏が描いた紙芝居(双生譚、双生児物語)の思想とも重なり、物語の中で“加害と和解”“戦いと共生”のはざまで苦悩する姿が印象的に映し出されました。

ちゃはむ
ちゃはむ

紙芝居ってただの娯楽じゃなくて、心の武器だったんだね。「笑顔にすること」=「戦争協力」になってしまう現実は苦しいね‥。

嵩の「誰かを笑顔にしたい」という思い──それは、やなせ氏の実話でもあります。

弟を亡くした兄の視点から描かれる“命の重み”

物語後半、嵩の仲間・岩男が、地元の少年に撃たれて命を落とす展開は衝撃的でした。親切にしていた相手が「仇」だった──この構図もまた、“戦争の理不尽さ”を象徴しています。

そして生き残った者に突きつけられるのは、「お前は、どっちなんだ?」という問い。

それは、“忘れる者か、忘れない者か?”という、やなせ自身が背負い続けた問いとも重なります。

おはむ
おはむ

嵩の「なぜ自分だけが生き残ったのか」って、やなせ先生と同じ気持ち。弟の分まで生きて「人を喜ばせるものを描け」って言われてたもんね。

このセリフは、現実のやなせ氏が弟から受け取った“最後の言葉”──「兄貴は生きて絵を描いてくれ」をそのまま再現しているようでもあります。1

やなせたかしと戦後日本の“反戦メッセージ”

戦後、やなせたかしは「正義とは何か?」を問い続けながら、ついに『アンパンマン』というヒーローを生み出しました。

彼は語ります。

「ほんとうの正義とは、飢えた人にパンを分けることだ」

この思想は、軍人や兵士のように“敵を倒す”のではなく、困っている人に“顔(=命)をちぎって分ける”アンパンマンに引き継がれています。

また、彼の絵本やエッセイの多くには「命の重み」「自己犠牲」「優しさとは何か」というテーマが一貫して流れています。これは、戦争を生き延びた者としての“責任”でもあったのでしょう。

ちゃはむ
ちゃはむ

アンパンマンって、反戦のメッセージでもあったんだ!だからこそ、大人になって見ると涙が出ちゃうんだね。特に主題歌は涙腺崩壊だよ…。

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まとめ:アンパンマン=反戦思想が生み出したヒーロー

やなせたかしの「戦争は大きらい」という言葉は、単なる理想や感情の表現ではありません。

そこには──

  • 戦地で“笑顔を使った戦争”に加担した後悔
  • 帰らぬ弟への罪悪感と祈り
  • そして、生き残った者としての“命の使命”──が込められています。

詩集『おとうとものがたり』に刻まれた言葉、そして『あんぱん』の中で嵩が抱える葛藤。それはすべて、やなせたかしの反戦の願いが静かに、けれど確かに語られている証拠なのです。

参考文献、資料:やなせたかし著書『ぼくは戦争は大きらい』、『アンパンマンの遺書』

  1. やなせたかし おとうとものがたり ↩︎
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