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【ブラッサム】首都公論・黒崎大三郎(遠藤憲一)&山中勇三(井浦新)のモデルは?滝田樗陰と嶋中雄作、中央公論の二人の編集者|出典・参考資料まとめ

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2026年後期NHK朝ドラ『ブラッサム』で、遠藤憲一が演じる文芸誌『首都公論』編集長・黒崎大三郎、井浦新が演じる副編集長・山中勇三。この二人のモデルと見られるのが、総合雑誌『中央公論』を率いた”人力車の編集者”滝田樗陰(たきた・ちょいん/1882〜1925)と、その後継者で『婦人公論』を創刊した嶋中雄作(しまなか・ゆうさく/1887〜1949)です。

この記事では、YouTubeチャンネル「スキドラTV」で公開した解説動画の参考資料・出典URLをまとめるとともに、動画では触れきれなかった補足情報を掲載しています。動画を見てくださった方が、一次情報を確認したいときに使っていただければ幸いです。

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滝田樗陰・嶋中雄作とはどんな人物か(動画のまとめ)

項目滝田樗陰嶋中雄作
生没年1882年6月28日〜1925年10月27日/享年431887年2月2日〜1949年1月17日/享年61
出身秋田県南秋田郡手形新町(現・秋田市)奈良県磯城郡三輪町(現・桜井市)
本名滝田哲太郎─
学歴東京帝国大学中退早稲田大学文学部哲学科卒業
入社1904年頃『中央公論』翻訳アルバイト1911年10月〜1912年頃入社(資料に揺れあり)
編集長就任1912年9月、30歳で主幹1916年1月、29歳で『婦人公論』初代編集長
死因腎臓病の悪化と喘息熱海の別荘で倒れ、死去
ドラマとの関係黒崎大三郎(遠藤憲一)のモデルと見られる山中勇三(井浦新)のモデルと見られる
宇野千代との関わり本郷「燕楽軒」で出会い、『墓を発く』を『中央公論』1922年5月号に掲載創刊した『婦人公論』に千代の作品を掲載

二人は、師匠と弟子の関係。滝田樗陰が『中央公論』を日本一の総合雑誌に押し上げ、その文芸欄で夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎、菊池寛、吉野作造らを世に出しました。嶋中雄作は樗陰の部下として入社し、『婦人公論』を創刊、樗陰の死後に二誌の編集長を兼務、やがて社長となって中央公論社を率いました。

ただし、NHKは黒崎大三郎・山中勇三のモデルについて公式に発表していません。本記事および動画では「モデルと見られる」という前提で紹介しています。

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動画では触れきれなかった補足情報

「滝田樗陰旧蔵 近代作家原稿集」として、1万枚の原稿が今も残っている

動画では「樗陰は多くの作家を世に出した」と紹介しましたが、実は樗陰が受け取った原稿そのものが、今も現物として残っています。

2010年、滝田樗陰のご遺族から日本近代文学館に、樗陰が所蔵していた原稿および樗陰宛書簡などが寄贈されました。その数、原稿1万枚余り。日本近代文学館はこの貴重な資料を画像データベース化し、ジャパンナレッジで「JKBooks 滝田樗陰旧蔵 近代作家原稿集」として公開しています。

収録されているのは、67名の作家の213作品の原稿と、作品が掲載された『中央公論』誌面の見開き2,638カット(表紙・目次・奥付を含む)。すべてフルカラーで収録されており、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎、志賀直哉といった作家たちの直筆原稿を、樗陰が受け取った状態で見ることができます。

「樗陰が人力車で原稿を集めていた」という伝説は、こうしてデータベース化された原稿群として、現在も確認できるのです。

芥川龍之介が書いた、二つの滝田樗陰追悼文

動画では芥川龍之介が樗陰に見出された作家の一人として触れました。実は芥川は、樗陰の死去にあたって二つの追悼文を書き残しています。

一つは「滝田哲太郎君」(底本『大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ』講談社文芸文庫)。もう一つは「滝田哲太郎氏」。どちらも青空文庫で全文を読むことができます。

「滝田君は熱心な編輯者だった。殊に作家を煽動して小説や戯曲を書かせることには独特の妙を具えていた」──これは「滝田哲太郎氏」の一節。動画で紹介した「樗陰独特のプレッシャー」の正体を、芥川自身の言葉で確かめることができます。

嶋中雄作の入社年の揺れ──奈良県立図書館の資料では「大正元年(1911)10月」

動画でも触れた通り、嶋中雄作の中央公論社入社年には資料によって揺れがあります。この点について、嶋中の出身地・奈良県の県立図書館が運営する郷土資料サイト「うんてい」では、「嶋中雄作が中央公論社へ入社したのは大正元年(1911)10月」と記述されています。

ただし「大正元年」は1912年7月30日〜12月までの期間であり、1911年は明治44年にあたります。中央公論新社公式の沿革では「1912(明治45/大正元)年9月 滝田樗陰、中央公論主幹となる」とされており、この時期前後の記録には資料によって年号の揺れが見られます。

本記事および動画では、複数の二次資料で最も多く見られる「1912年10月」説を踏まえ、「1912年頃」と幅を持たせて表現しました。

嶋中雄作は「葦沢」として小説のモデルにもなっていた

嶋中雄作は、石川達三(1905-85)の長編小説「風にそよぐ葦」の主人公のモデルにもなっています。コトバンクの「嶋中雄作」の項目に、「葦沢は中央公論社の社長であった嶋中雄作をモデルにしており、同社が戦時下に……」という記述があります。

戦時下の言論弾圧を小説として描く際に、嶋中雄作の姿が投影された──それほど、当時の出版界において嶋中は象徴的な存在だったことがうかがえます。

麻田駒之助から嶋中雄作への社長交代、その”直前”の経営体制

動画では「1928年に嶋中が社長に就任」と紹介しましたが、その2年前(1926年=大正15年)に、中央公論社は株式会社化され、麻田駒之助が初代社長に就任しています。そして昭和3年(1928年)8月1日、嶋中雄作に社長が引き継がれました。

重要なのは、嶋中雄作が受け継いだ会社は「個人経営の出版社」ではなく、すでに株式会社化された中央公論社だったという点。そこから出版部を立ち上げ、『西部戦線異状なし』を大ベストセラーにし、戦前・戦中の出版界をリードしていきました。

『中央公論』の原点は、京都・西本願寺の機関誌だった

動画では『中央公論』の歴史に深くは踏み込みませんでしたが、同誌の原点は、意外にも京都・西本願寺の反省会(禁酒を奨励する青年僧の団体)の機関誌『反省会雑誌』です。

これが東京に拠点を移し、誌名も『中央公論』と改め、西本願寺から独立して麻田駒之助の経営へと転身していきました。この流れを踏まえると、樗陰が『中央公論』で文芸欄を立ち上げ、総合雑誌へと発展させたことの意義が、より立体的に見えてきます。

横浜事件は『改造』編集者が中心、嶋中雄作・中央公論社が解散に追い込まれた経緯

動画では横浜事件を短く紹介しましたが、事件の中心にあったのは『改造』誌(改造社)に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」でした。この論文がきっかけで、約60人もの編集者・言論人が治安維持法違反容疑で検挙されました(朝日新聞社、岩波書店、中央公論社、改造社など)。

細川嘉六の論文が掲載されたのは1942年(昭和17年)8月号・9月号の『改造』。細川本人は1942年9月14日に検挙され、その後1943年〜1944年にかけて関係者の検挙が拡大、中央公論社の社員にも及びました。

嶋中雄作は、1944年7月に陸軍情報局から「自発的に廃業せよ」と勧告され、7月31日限りで中央公論社を解散。改造社も同時期に解散に追い込まれました。日本ペンクラブの資料によれば、検挙された関係者49名の全員が拷問を受け、気絶した者、負傷した者が多数という過酷な事件でした。嶋中雄作は、こうした時代の中で、言論を守ろうとしながら会社の解散に追い込まれたのです。

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動画で触れた事項の精度補足

「モデル」としての扱いについて

NHKは黒崎大三郎・山中勇三のモデルについて公式発表をしていません。本記事および動画では、キャラクター設定(「日本屈指の文芸雑誌『首都公論』を率いる編集長」「副編集長として黒崎の右腕」)と、滝田樗陰・嶋中雄作の経歴がぴったり重なることから「モデルと見られる」と表現しています。

千代の『生きて行く私』における滝田樗陰の記述

動画では、宇野千代の自伝的随筆『生きて行く私』に原稿料366円のエピソードが登場すると紹介しました。該当エピソードは、二次資料(designroomrune.comの引用、徳田秋聲記念館「寸々語」の言及など)で確認できますが、原文の該当箇所の正確な文言は本記事では引用していません。本棚の『生きて行く私』をお持ちの方は、ぜひ原文で確認してみてください。

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動画の重要ポイント(時系列まとめ)

滝田樗陰

  • 1882年(明治15年)6月28日 秋田県南秋田郡手形新町に誕生、本名・滝田哲太郎
  • 1903年(明治36年)9月 東京帝国大学入学
  • 1904年頃 在学中、近松秋江が主幹の『中央公論』で翻訳アルバイトを始める
  • 1905年(明治38年) 『中央公論』に文芸欄を新設
  • 1906年(明治39年) 夏目漱石を執筆者に迎える
  • 1912年(大正元年)9月 30歳で『中央公論』主幹(編集長)に就任
  • 1916年(大正5年)1月 吉野作造「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を『中央公論』に掲載
  • 1917年(大正6年)8月 本郷「燕楽軒」で、19歳の宇野千代と出会う
  • 1922年(大正11年)5月号 宇野千代『墓を発く』を『中央公論』に掲載、原稿料366円
  • 1924年(大正13年) 腎臓病で療養生活に入る
  • 1925年(大正14年)10月27日 東京市本郷区根津片町の自宅で死去、享年43

嶋中雄作

  • 1887年(明治20年)2月2日 奈良県磯城郡三輪町に誕生
  • 1911年10月〜1912年頃 早稲田大学卒業後、島村抱月・金子筑水の推薦で中央公論社に入社
  • 1913年(大正2年) 『中央公論』「婦人問題特集号」を企画、成功
  • 1916年(大正5年)1月 29歳で『婦人公論』初代編集長に就任
  • 1925年(大正14年) 樗陰の死去に伴い、38歳で『中央公論』『婦人公論』両誌の編集長を兼務
  • 1928年(昭和3年)8月1日 麻田駒之助から中央公論社を譲り受け、社長に就任
  • 1929年(昭和4年) 出版部を新設、処女出版『西部戦線異状なし』が大ベストセラーに
  • 1935年(昭和10年)3月号 『婦人公論』に宇野千代「家(藝術深園)」寄稿
  • 1943年(昭和18年) 石川達三『生きてゐる兵隊』有罪、谷崎潤一郎『細雪』連載中断
  • 1944年(昭和19年)7月 陸軍情報局から「自発的廃業」を勧告される/7月31日、中央公論社解散
  • 1945年(昭和20年)10月29日 「社業再発足の集い」を開催
  • 1946年(昭和21年)1月 『中央公論』戦後復刊第1号を発行
  • 1949年(昭和24年)1月17日 熱海の別荘で倒れ、死去、享年61
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参考URL一覧

一次資料(公式・公的機関)

出典内容
中央公論新社 会社沿革中央公論社の全沿革/滝田樗陰主幹就任・嶋中雄作社長就任・『婦人公論』創刊年の確認
奈良県立図書情報館「うんてい」No.7(嶋中雄作)嶋中雄作の郷土資料/入社年「大正元年(1911)10月」の記述/『婦人公論』創刊の経緯
日本近代文学館「JKBooks 滝田樗陰旧蔵 近代作家原稿集」解説(ジャパンナレッジ)樗陰のご遺族から寄贈された原稿1万枚余り/67名の作家の213作品/『中央公論』誌面2,638カット
JKBooks 滝田樗陰旧蔵 近代作家原稿集 刊行にあたって日本近代文学館・中央公論新社協力による刊行経緯
JKBooks 滝田樗陰とは滝田樗陰の経歴・業績の公式解説
青空文庫「滝田哲太郎君」芥川龍之介芥川による樗陰追悼文(一次資料の原文)
青空文庫「滝田哲太郎氏」芥川龍之介芥川によるもう一つの樗陰追悼文(一次資料の原文)
国立国会図書館レファレンス「宇野千代著『墓を発く』の作品の所在」『中央公論』大正11年5月号P71〜に掲載との確認/国立国会図書館所蔵
NPO宇野千代生家「故郷に錦を飾る」大正11年4月12日、北海道から上京/『墓を発く』原稿料366円を手にした経緯
NPO宇野千代生家「本郷菊富士ホテルから燕楽軒へ」本郷「燕楽軒」でのアルバイト、滝田樗陰との出会い
日本ペンクラブ 電子文藝館「横浜事件」言論弾圧事件としての横浜事件の経緯/拷問の実態/49名検挙
日本ペンクラブ 電子文藝館「中央公論社 回顧五十年」嶋中雄作の経歴・業績に関する詳細/婦人問題特集号・『婦人公論』創刊
秋田県立博物館「『中央公論』の名編集者 滝田樗陰」滝田樗陰の出身地・秋田県の公式資料/経歴・業績年表
徳田秋聲記念館「寸々語」2025年樗陰と嶋中雄作に関する言及/『中央公論』編集部の内情
吉野作造記念館 公式サイト吉野作造・民本主義の公式解説/『中央公論』との関わり

二次資料(メディア・専門サイト)

出典内容
コトバンク「滝田樗陰」滝田樗陰の経歴・業績の辞典解説
コトバンク「嶋中雄作」嶋中雄作の経歴・業績の辞典解説/「葦沢」のモデルとなった記述
コトバンク「中央公論」雑誌『中央公論』の歴史と、滝田樗陰主幹時代の記述
コトバンク「中央公論社」中央公論社の歴史/1914年改称・1916年『婦人公論』創刊の記述
読売新聞コラム「『ブラッサム』のモデル・宇野千代が求めた『自由と恋愛』の原点」『墓を発く』原稿料エピソードの経緯/宇野千代の作家デビュー
Wikipedia「滝田樗陰」滝田樗陰の全経歴の概観/複数作家との関係
Wikipedia「嶋中雄作」嶋中雄作の全経歴/社長就任の経緯/横浜事件
Wikipedia「中央公論」雑誌『中央公論』の全歴史/1944年廃刊・戦後復刊
Wikipedia「婦人公論」『婦人公論』の歴史/創刊年・初代編集長の確認
Wikipedia「横浜事件」横浜事件の全体像/関係者約60人の検挙/改造社・中央公論社の解散
Wikipedia「細川嘉六」細川嘉六論文「世界史の動向と日本」の掲載経緯/横浜事件の端緒
Wikipedia「谷崎潤一郎」1943年『細雪』連載中止の経緯
有鄰堂「有鄰 422号」改造社・山本實彦の経営判断、円本予約制の記述
東京紅團「中央公論社の足跡を歩く」中央公論社の歴史的所在地/1926年株式会社化・麻田駒之助初代社長の記述
NPO宇野千代生家 公式サイト宇野千代の年譜全般/滝田樗陰・嶋中雄作との関わり

NHK公式(ドラマ関連)

出典内容
NHK『ブラッサム』公式サイトドラマ本編情報
Wikipedia「ブラッサム」ドラマ基本情報・キャスト
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参考書籍一覧

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「ブラッサム」再生リスト

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