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【あんぱん実話】座間晴斗の実在モデルは杉山豊桔🎨やなせたかしの恩師が図案化で教えた“自由な教育”とは

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『あんぱん』第6週から登場した図案科教師・座間晴斗(ざま はると)が、あまりに自由すぎるとSNSで話題になっています。

嵩たち新入生に「銀座に行って遊んできなさい」と語るその姿は、これまでの朝ドラにはない型破りな教師像。戦時下の日本において“自由を教える教師”というキャラクターは、強烈な印象を残しました。

そんな座間晴斗には実在のモデルがいることをご存知でしょうか?その人物こそ、やなせたかし氏の恩師・杉山豊桔(すぎやま とよき)。彼は図案科という分野で、時代に逆らってでも“自由な発想”を教えた実在の教育者でした。

本記事では、座間晴斗のモデル・杉山豊桔の人物像や教育方針、やなせ氏との実話エピソードをもとに、『あんぱん』のキャラ造形がどこまで現実と重なるのかを深掘りしていきます。

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座間晴斗(山寺宏一)とは?自由すぎる図案科教師が話題に

朝ドラ『あんぱん』第6週から登場した図案科の教師・座間晴斗(ざま はると)は、登場するや否や視聴者の間で「一体この先生何者!?」と大きな話題になっています。

登場シーンからしてインパクト抜群。嵩が東京高等芸術学校に入学し、最初に出会うのがこの座間先生。いかにも風変わりな印象で、スーツの着こなしからして型破り。授業ではいきなり「型にはまるな」「銀座に行って遊んできなさい」など、生徒の常識を覆す言葉を投げかけます。

きはむ
きはむ

“銀座に行け”って言う教師、教師らしからぬ発言…!しかも戦時中だよ?もう最高に自由な教育者…。

座間晴斗の教育方針は「実践と感性を大切にしろ」「机の上だけで学ぶな」というもの。これは、それまで厳格な師範学校で学んできた嵩にとっては、まさに目からウロコの考え方です。他の教師が型通りの課題を出す中、座間だけは「答えのない問い」を投げかける。そんな姿勢に、生徒たちは戸惑いつつも惹かれていくのです。

SNS上でも放送直後から「座間先生カッコよすぎ」「こういう先生に出会いたかった」「自由の象徴みたいな人」といった声が多数あがり、山寺宏一さんの演技も相まって一気に注目キャラになりました。

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座間晴斗のモデルは杉山豊桔!やなせたかしが語った“自由な恩師”

『あんぱん』はフィクションながら、やなせたかしさん夫妻の人生をもとに描かれています。座間晴斗にも、やなせ氏の実体験に由来する“実在モデル”が存在します。

杉山豊桔とは?プロフィールと芸術学校での立場

座間晴斗のモデルとされているのが、杉山豊桔(すぎやま とよき)1という人物。彼は、やなせたかし氏が通っていた旧制・東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)で図案科の教授を務めていました。

当時の工芸教育は、国の軍需産業とも関わる「技術者養成」の側面が強く、軍国的・保守的な傾向がありました。

しかし杉山教授は、そんな時代の中でも「若者に本質的な自由を持って芸術に向き合わせたい」と、独自の教育方針を貫いていたといいます。

彼は図案科の学生たちに“遊び心”や“街を見る目”を養わせ、教室に縛られず、街に出て刺激を受けてこいと勧めました。この精神が、ドラマの座間晴斗というキャラクターに色濃く反映されています。

やなせたかしが語る「銀座に行け」の逸話

座間晴斗の決めセリフ「銀座に行け!」は、実はやなせたかしさんが実際に言われた言葉でもあります。やなせ氏は回想録で、次のようなエピソードを語っています。

やなせたかし「杉山先生は『机にかじりついてもデザイナーにはなれない。銀座へ行って遊んでおいで』と言ってくれた。だから、僕は毎日銀座通いだった」

この体験が、のちのアンパンマンの“型破りなヒーロー像”や“固定概念にとらわれない発想”に直結していると、本人も明かしています。

きゅんはむ
きゅんはむ

え、毎日銀座通いって最高の課題♪この自由な教育が“愛と勇気”を育てたんだね~◎座間晴斗のセリフは、まさにやなせ氏の青春そのもの!

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図案科とは実用デザインを学ぶ科!当時の芸術教育の中での役割

そもそも「図案科」とは何なのでしょうか?今でこそあまり耳にしない言葉ですが、当時の芸術系学校では、美術や工芸における「実用デザイン」を専門に学ぶ学科が存在していました。

図案科は、美術と工業デザインの中間に位置する学科で、ポスターやパッケージ、工芸品などの図案を設計することが主な目的でした。いわば現在の「グラフィックデザイン科」「プロダクトデザイン科」に近い分野です。

この点でも、図案科の生徒には“机上の理論”だけでなく“現場感覚”や“時代の空気を読む力”が求められていました。そのため杉山教授のように「街に出てこい」「流行を見ろ」と説く指導方針は、非常に合理的かつ先進的だったのです。

ちなみに、東京高等工芸学校の図案科2定員20名の難関で、やなせ氏も苦労して入学したそう!やなせ氏の進学した官立旧制東京高等工芸学校図案科は、現在「千葉大学工学部総合工学科デザインコース」3となっています。

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なぜ“自由な教育”が必要だったのか?戦時下の芸術教育背景

座間晴斗のモデル・杉山豊桔が「自由」を説いたのは、ただの理想論ではありませんでした。彼が“自由”を何よりも大切にしたのは、時代がどんどん不自由になっていたからです。

舞台となる昭和10年代後半、日本は戦争へと突き進んでいました。日中戦争の勃発(1937年)、国家総動員法(1938年)、太平洋戦争の開戦(1941年)へと続く中で、国民の生活・思想・教育までもが軍の管理下に置かれていきます。

当然、芸術の世界にも統制の波が押し寄せました。芸術学校では「国威発揚に資するもの」「伝統工芸の保存」など、国家の役に立つものが推奨され、“自由な表現”は抑え込まれていく時代でした。

きはむ
きはむ

え…アートすら“お国のため”じゃなきゃダメってこと!?そんな中で“銀座に行け”って言う教師、マジで反逆者レベル…!

そんな息苦しい時代にあって、杉山豊桔は“学生には自由を教えるべきだ”という信念を貫きました。教室に閉じこもらず、街を歩いて刺激を受け、自分の目で世界を見ろと指導したのです。

この姿勢は、生徒だったやなせたかしに強烈な影響を与えました。のちに彼が描いたアンパンマンもまた、「権力ではなく弱者を助ける」存在として生まれました。4それは、力ではなく“優しさと自由”を信じた教育の賜物だったのかもしれません。

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まとめ:座間晴斗は、やなせ氏の恩師「杉山豊桔」がモデル

『あんぱん』の座間晴斗は、自由を重んじる異色の教師として、嵩だけでなく視聴者の心にも強く残る存在です。その背景には、実在した恩師・杉山豊桔の教育と、戦時下という“自由が失われていく時代”への抗いがあったことがわかります。

そして何より注目すべきは、その“自由な発想”がやなせたかしの人生と創作の原点になったということ。アンパンマンが「食べ物を分け与え、見返りを求めずに困っている人を助ける」ヒーローであるのも、当時の自由な教育の影響といえるでしょう。

きゅんはむ
きゅんはむ

座間先生(杉山豊桔氏)=やなせ作品の原点!座間先生役はアンパンマンのチーズの声をしている山寺宏一さん。何だか運命を感じるね♪

『あんぱん』では、こうした実在の人物をベースにしつつ、フィクションとして再構築されたキャラたちが登場します。モデルを知ることで、「どこが本当で、どこが脚色なのか?」という視点でも楽しめるのがこの作品の醍醐味です。

ドラマの中の座間晴斗が、どのように嵩を導き、どんな“種”をまくのか。それは、後の“アンパンマン誕生”につながるかもしれない――そんな想像をしながら、今後の展開を見守りたいですね。

参考文献、資料:

  1. やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫) ↩︎
  2. やなせたかしについて(やなせたかし記念館) ↩︎
  3. やなせたかし(Wikipedia) ↩︎
  4. やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫) ↩︎

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mina

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