2025年夏の朝ドラ『あんぱん』に登場する歌手・白鳥玉恵(しらとりたまえ)。彼女を演じるのは、乃木坂46の久保史緒里さんです。
実はこの白鳥玉恵、昭和を代表する名曲「手のひらを太陽に」を最初に歌ったことで知られる宮城まり子さんがモデルとされています。
無名時代のやなせたかしをリサイタルの仕事に抜擢したエピソード、そして名曲誕生にまつわる知られざる実話…。その背景を知ることで、ドラマのセリフや歌にこめられた思いが何倍にも深く伝わってきます。
この記事では、白鳥玉恵の実在モデルとされる宮城まり子さんの人生や、やなせたかしとの絆、名曲誕生秘話、そして朝ドラでの再現可能性までを、わかりやすく解説していきます。

「白鳥玉恵って実在の人物?」「手のひらを太陽にってそんな背景が!?」そんな疑問にお答えします!
実在モデルはどんな人?白鳥玉恵(乃木坂46久保史緒里)=宮城まり子
朝ドラ『あんぱん』に登場する人気歌手・白鳥玉恵(しらとり・たまえ)。久保史緒里さんが演じるこのキャラクターには、実在のモデルがいます。
宮城まり子プロフィール:美貌と歌声で人気を集めた昭和の歌手・女優
そのモデルとされるのが――宮城まり子(みやぎ・まりこ)さんです。

宮城まり子さんは昭和の戦後復興期に活躍した、歌手・女優・声優としても知られる人物で、1927年(昭和2年)東京で生まれ。1950年代、可憐で透き通るような歌声と、華やかなルックスで一躍スターダムに上り詰めました。
中でも代表曲のひとつが、1955年にリリースされた「ガード下の靴みがき」。靴磨きの少年について歌われたこの曲は、戦後の日本人の心を打ち、多くの人に愛された名曲です。

“ガード下の靴みがき”ってタイトルだけで泣きそうになる…。昭和の哀愁をやさしく包むような歌だね。
『あんぱん』白鳥玉恵との共通点:時代・見た目・歌手としての立ち位置
白鳥玉恵は、ドラマ内で昭和30年代の人気歌手として描かれています。特徴的なのは以下の共通点です。
- 美しく上品なルックス(久保史緒里さんのビジュアルも意識)
- 戦後の苦しさの中、人々に“希望の歌”を届ける存在
- やなせたかしと深い関わりを持つ
特に、やなせたかしと共に舞台を作った経験や、「手のひらを太陽に」を最初に歌ったという実績から、モデルが宮城まり子であることはほぼ確定的と見られています。

これって、名前だけ変えて“ほぼ実在”パターンじゃない?ドラマでは“白鳥玉恵”、でも描かれる人生は“宮城まり子”さんっぽいよね。

やなせたかしとの関係は?出会いと「猛プッシュ」の実話
実は、やなせたかしと宮城まり子の関係は、ただの「作詞家と歌手」ではありません。きっかけは、1958年のリサイタル依頼でした。
1958年、宮城まり子が無名時代のやなせたかしに“直接依頼”
当時、宮城まり子はすでにスター歌手。そんな彼女が舞台構成を依頼したのが、なんと当時まだ“ほぼ無名”だったやなせたかしだったのです。

えっ?有名歌手が売れない漫画家に舞台構成をお願い!?これには、やなせさん本人もビックリだよね。
この“猛プッシュ”に応える形で、やなせは彼女のリサイタルの構成や衣装、すべてを引き受けます。
舞台構成・衣装デザインも!全面的な信頼関係
この仕事では、なんとやなせは衣装デザインまで手がけています。デザイナーとしての才能を持つやなせにとっては本領発揮の場でもありました。
舞台は大成功をおさめ、宮城まり子とやなせたかしの絆はここで深まりました。

信頼とチャンスが重なった奇跡の瞬間!ここがなければ、『手のひらを太陽に』を最初に歌ったのは宮城さんじゃなかったかもしれないよね。
\宮城まり子とのエピソードは本人著書でも登場/

名曲「手のひらを太陽に」誕生秘話!“最初の歌い手”が宮城まり子
「手のひらを太陽に」といえば、いまや誰もが知る童謡の名曲。実はこの曲、最初からヒットしたわけではありませんでした。
1961年、日本教育テレビの番組内で最初に歌われた
1961年、やなせたかしは日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の朝の番組内「今月のうた」コーナーのため、新しい童謡を作詞します。これが、作曲家・いずみたくとタッグを組んだ「手のひらを太陽に」でした。

最初から“子どもたちの歌”として作られたんだね。続いて、1962年に NHK『みんなのうた』で、宮城まり子とビクター少年合唱隊が歌います。
宮城まり子が“最初に歌った”人物だった
この曲の初代歌唱担当として起用されたのが、宮城まり子さんでした。
かつて舞台で共に仕事をした信頼関係から、やなせたかしは彼女に歌唱を依頼。番組内で、宮城まり子の優しい声が「手のひらを太陽に」を包み込みました。
しかしこの段階では大きな話題にはならず、1962年にNHK『みんなのうた』で放送された際も、一般への浸透はまだ限定的でした。

えっ、あんな有名な歌が“最初は売れなかった”の?じゃあ、いつ評価されたんだろう…。
1965年、ボニージャックス版が紅白歌合戦で披露され大ブレイク
曲の運命が大きく変わったのは1965年。
男性コーラスグループ・ボニージャックスがカバーし、紅白歌合戦で披露されたことにより、広く日本中に知られるようになります。

朝ドラ『あんぱん』で再現!?白鳥玉恵が歌う「手のひらを太陽に」
朝ドラ『あんぱん』において、白鳥玉恵(久保史緒里)が歌うシーンが登場します。

久保史緒里ちゃんの歌声がまたやさしいんだよね。歌声だけで“時代の空気”がよみがえる感じ◎
実話から予想するに、白鳥玉恵がやなせ嵩(やなせたかしモデル)に舞台構成を依頼する描写や、舞台衣装を一緒に作り上げていくエピソードが描かれる可能性があります。
すでに実話として伝わっている「猛プッシュ」エピソードが、ドラマとしてどう脚色されるのか――視聴者の楽しみのひとつとなりそうです。

紅白・大河・朝ドラ・夜ドラ、全部出てるのって久保ちゃんだけなんだって!まさに現代の“歌って演じるトップスター”だね◎
宮城まり子の生涯:芸能界を事実上引退し「ねむの木学園」設立
宮城まり子は、芸能活動の一方で障害のある子どもたちの教育と自立支援に強い関心を持ち、1968年には静岡県に「ねむの木学園」を設立しました。
「ねむの木学園」は、肢体不自由児たちのための施設であり、子どもたち一人ひとりの個性を尊重しながら、絵画や音楽を通じた表現活動を重視していたことでも知られています。

華やかな芸能界から福祉活動家へ!驚きの転身を遂げます。やなせさんも子ども向けの作品を手掛けていたし…なんだか似ているね。
晩年、宮城まり子は芸能界から徐々に距離を取り、福祉活動に専念しました。
そして2020年、93歳でその生涯を閉じます。彼女が遺した「ねむの木学園」は今も運営が続けられており、子どもたちの自由な表現の場となっています。

“手のひらを太陽に”って、宮城さんの人生そのもののようにも見えるね。命の尊さと、光を信じる力。それを伝えた人とも言えるね。
\白鳥玉恵=宮城まり子の解説動画はこちら/

まとめ:白鳥玉恵=宮城まり子説が示す“感動実話”が朝ドラで実写化
朝ドラ『あんぱん』で描かれる白鳥玉恵は、宮城まり子がモデル。
やなせたかしとの“運命の出会い”、リサイタルを通じて生まれた信頼関係、そして名曲「手のひらを太陽に」――これらのエピソードは、フィクションでは描ききれない感動的な実話に基づいているのです。
白鳥玉恵のエピソードを深掘りすることで、視聴者はやなせたかしが生きた時代の空気や人々の情熱に、よりリアルに触れることができるのです。

やなせさんの歌詞には、「どんな命も尊く、笑顔の先に光がある」というメッセージが込められているよね。まさに、希望の歌♪
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